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評者◆藤田直哉
一九八四年の保守論壇 (一)――現代の日本における歴史修正主義や、いわゆるネトウヨ現象と呼ばれるものの震源地の一つが雑誌『諸君!』だったか?
No.3369 ・ 2018年10月06日
■一九八四年の保守論壇、特に文藝春秋が刊行している『諸君!』には、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』ブームに乗っかった記事が随分と掲載されている。ひょっとすると、現代の日本における歴史修正主義や、いわゆるネトウヨ現象と呼ばれるものの震源地の一つがここにあるのかもしれない。
『一九八四年』は、「歴史が書き換えられる」「言葉を操作することで思想が統制される」事態を描く。この内容は、読者に対し「自分が歴史・事実だと思っていることもそうではないかもしれない」「自分が信じているものも洗脳やプロパガンダの結果かもしれない」と不安にさせる効果がある。また、作品世界に生きている人たちはディストピアに生きているにもかかわらずそこをユートピアだと思い込んでいるので、それを読んだ読者には「ユートピアだと思っているこの実はディストピアかもしれない」と不安にさせる効果がある。読者に自己や現実について、存在論的・認識論的な揺らぎと眩暈の効果を与えるという意味でポストモダン小説を先取りしているこの『一九八四年』の、不安と懐疑に宙づりにする効果が、歴史修正主義者や「マスゴミ批判」的論調とも実に相性がよいというのは、よく分かるのではないか。本論の仮説は、『一九八四年』が、陰に陽に日本の保守論壇に影響を与え、その影響が現在でも継続している、というものである。 具体的にぼくが念頭に置いているのは、歴史修正主義やネトウヨがよく使うと言われている、「戦後の日本はGHQの検閲で洗脳されて価値観を植え付けられた」「教えられた歴史は誰かに捏造された歴史かもしれない」「朝日新聞やマスコミは嘘をついている」という言説のパターンである(倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー』など参照)。 いわゆるGHQが戦後日本人を検閲し洗脳し自虐史観になったというWGIP(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)という「陰謀論」(秦郁彦『陰謀史観』)を「再発見」したのは江藤淳だとされている。これが掲載されたのが一九八三年から一九八六年の『諸君!』である。そこでは「真実」「真相」を隠す言説空間に日本人は閉じ込められているという認識が語られている。「真実」「真相」が見えなくなったのは占領軍の検閲、歴史教育、東京裁判などのせいである。「CCD(占領軍民間検閲支隊)の言論検閲が、いかに戦後日本の言語空間を拘束しつづけて来たか」(『閉された言語空間』文春文庫、p347)を江藤は明らかにしようとしている。この一連の議論の起点で、江藤は実にポストモダン的な不安を語っている。「私たちは、自分が信じていると信じるものを、本当に信じているのだろうか? 信じているとすればどういう手続きでそれを信じ、信じていないとすればその代りにいったいなにを信じて、私たちはこれまで生きてきたのだろうか」(p10)。これは実に『一九八四年』的不安ではないか。 江藤が『閉された言語空間』を連載している間の『諸君!』は、随分と『一九八四年』に関係する記事を掲載している。一九八四年は、一月号から清水幾太郎の『ジョージ・オーウェル 「一九八四年」への旅』の連載が丸一年続いているので、『一九八四年』を強く意識するというのは、前々から決定していたことなのだろう。『諸君!』の記事を見ていると、ある意見やトピックスやオピニオンなどが、個々人を超えて、共有されていく現象が頻繁に観察される。江藤が『一九八四年』に影響されたという直接的で確かな証拠は見つかっていないが、雑誌『諸君!』を介した影響関係はあったのではないか。 歴史修正主義・ネトウヨ・1984に関係しそうな、一九八四年の『諸君!』の目次を列挙する。 一月号:阿川弘之「私達が新聞を信じない理由」、渡部昇一「「角栄裁判」は東京裁判以上の暗黒裁判だ!?」 二月号:屋山太郎「毎日新聞も日本のプラウダか?」 三月号:香山健一「「1984年」の朝日新聞」、志水速雄「ジョージ・オーウェルが怒るぞ!」 四月号:佐瀬昌盛「INF交渉・これだけの虚報―3―新聞は反核興奮剤の常用者」、佐々克明「“ミスター朝日新聞”への鎮魂歌」 六月号:山本七平「田中角栄における「権力の解剖」」 七月号:江藤淳「占領軍宣伝文書『太平洋戦争史』の原罪」 八月号:伊佐千尋、沢登佳人「「角栄裁判」は宗教裁判以前の暗黒裁判だ!」、田久保忠衛「朝日新聞・社説子にモノ申す」 九月号:小堀桂一郎「東京裁判と同じである」、小室直樹「「世論」と魔女狩り」 一〇月号:秦郁彦「特集「南京大虐殺」とは何だ」 一一月号:三浦朱門「アンケート特集「虚報」「誤報」「曲報」を再点検する」/ 一二月号:佐瀬昌盛「ひそかに変造された朝日新聞縮刷版――「伊藤律架空会見記」以来の大珍事」 異様なまでに田中角栄擁護と朝日新聞批判ばかりがある。角栄擁護のロジックも、「マスコミが不必要に騒いでいる魔女狩り」というロジックなので、実質的にマスコミ批判である。関連して、イタイイタイ病の原因はカドミウムではないかもしれないのに、マスコミが世論を煽ったせいで、厚生省(当時)や裁判所は誤った判断を出した、「魔女狩り」であり、日本は近代国家でも民主主義でもなくなってしまったという議論も起こっている。 香山健一により、朝日新聞が『一九八四年』と結びつけられて批判されていることに注目してほしい。香山健一は「グループ一九八四年」と呼ばれる集団のリーダーだったと言われている。共産主義者同盟(ブント)を設立し、清水幾太郎・鶴見俊輔らが立ち上げた現代思想研究会にも参加している。安保闘争阻止のために戦った闘志でもあった。「グループ一九八四年」は、「日本の自殺」「現代の魔女狩り」などを七〇年代の『文藝春秋』に発表している。いわば保守論壇における『一九八四年』使いの第一人者と言えるだろうか。 その前の年、一九八三年の『諸君!』の目次も興味深いので見てみよう。三月号:山本七平「新聞がつくった角栄神話」、四月号:香山健一「朝日新聞は日本のプラウダか?――なぜ虚報批判に答えないのか」、小室直樹「小室直樹教授の「角栄論」」、六月号:香山健一「朝日新聞の戦後責任」、一〇月号:渡部昇一「教科書問題・国辱の一周忌」などなど。 小室直樹と山本七平も注目に値する。特に小室は、『日本の「一九八四年」』という本を、わざわざ奥付を一九八三年一二月三〇日にして刊行している。そこで山本の議論や「グループ一九八四年」の議論を参照し、「空気」こそが「日本のビッグ・ブラザー」であるという議論を展開し、田中角栄を批判する「マスコミ」が行っている「魔女狩り」は、『一九八四年』に出てくる「二分間憎悪」と同じプロパガンダだと言っている。そこでは「マスコミ真理省」という言葉すら使われている。 以上のように、一九八四年の保守論壇が、『一九八四年』と同時代の情勢を結びつけた言説空間を形成していたことは事実である。『一九八四年』の影響と、ポストモダンの影響を受け、「メディアが構築する現実」という世界像を保守論壇が組み込んでいたのだ。 (文芸評論家) ――つづく |
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