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評者◆秋竜山
人間はロボットではない、の巻
No.3367 ・ 2018年09月15日




■集中力がおちたと、酒のみながら話す。ひどいもんだねえ、昔は何時間でも夢中になれたものが、最近はまったくなくなってしまった。と、いう。俺もだ!! と同調する。なんでだろう。わかっている。わかっているけど、あえていわない。わかっているからこそいわないんだ。あきっぽくなったと、思う。長くやってられない。困ったもんだ!! と、いいあう。アア、めんどくさい。
 先号に続いて、森博嗣『集中力はいらない』(SB新書、本体八〇〇円)は、累計1600万部超の人気作家が提唱する「アンチ集中力」のすすめである。
 〈人は、自然の一部であって、常に変化している。子供ならば成長するし、大人になれば老化する。比較的短い時間で観察しても、新陳代謝を繰り返しているわけだから、同じ細胞が長く存在するわけではない。脳細胞も入れ替わっているから、来月の頭は、今の頭と同じものではない。〉(本書より)
 いや、来月どころか、今日の頭は今日の頭と同じものではない。と、いえないこともないだろう。とにかく、集中力がなくなったと、同年輩の口ぐせである。
 〈的確な判断には、冷静さが必要である。この冷静さも、集中しすぎないこと、と言い換えることができ、いわば、頭の「分散力」に近い能力ではないかと思われる。〉(本書より)
 あきっぽいということだ。将棋をやっていた二人が、途中であきてしまって、もう、やってられない。やめようと放りなげてしまったという。負けていたから、続けるのがいやになったというか集中できなくなってしまった。やる気のないものと将棋をさしても面白いはずがない。ところが、勝っているほうも、集中力がなくなってしまって、やる気をなくしてしまった。
 〈さて、本章では、「集中」というものが、絶対的な善ではない。むしろ、気ままに分散する思考こそが、人間だけに可能な「発想」の原動力となる。(略)これまで、社会が人間に「集中しなさい」と要求したのは、結局は、機械のように働きなさいという意味だったのだから、そろそろその要求自体が意味を失っている時代に差し掛かっているということである。〉(本書より)
 つまり、人間はロボットではないということか。人間だから、途中で将棋をなげだしてしまうのは、正当であるようだ。もしロボットなら途中であきたりしないはずだ。年をとると、なげだすことがひんぱんにおこりやすい。つまり、年をとるということはロボットでなくなっていくということであり、より人間的に近づくということだ。ある知っている人だが、魚釣りに出かけた。家を出る時は、妻に、今晩のおかずの心配はいらないよ!! と、告げて元気がよかったのであるが、「あなた、なによ?」と、妻が叫んだ。釣り糸をたらすと同時だった。つまり、釣りに集中できなくなってしまったのであった。考えてみると、魚釣りに集中ができなくなってしまった魚釣りほど、つらいものはない。彼は、より人間的になったということだ。そんな夫を妻は、「あなた、夕飯のおかずはどーなるのよ」と、いう意味で叫んだのであった。夕飯のおかずよりも人間らしくなった夫をよろこぶべきではなかろうか。







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