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評者◆高橋宏幸
ルーマニア、シビウ国際演劇祭とラドゥ・スタンカ劇場の『ファウスト』――演出家が描く『ファウスト』のイメージ自体が壮大だ
No.3366 ・ 2018年09月08日




■ここ5年ほどだろうか、小さな流れかもしれないがルーマニアのシビウという都市で開催される、シビウ国際演劇祭が日本の演劇界でも広く知られるようになった。一つには東京芸術劇場が、その街にある国立のラドゥ・スタンカ劇場の作品を続けて招聘していることがある。シルビィウ・プルカレーテ演出の『ルル』を皮切りに、『オイディプス』と『ガリバー旅行記』。昨年はプルカレーテが佐々木蔵之介など日本の俳優たちを演出して、『リチャード三世』の上演をした。また、数年前にシビウ演劇祭とルーマニア演劇について書いた本が出版されたことも大きい。1968年世代として高校生新書の『ぼくらの大学拒否宣言』で名を馳せ、現在は演劇評論家となった七字英輔の『ルーマニア演劇に魅せられて』(せりか書房)だ。この本は、20年以上にわたって演劇祭に通い続けた記録であると同時に、馴染みのない国の演劇とその舞台のレベルの高さを伝えた。
 実際、その演劇祭の規模は日本にはないものだ。十日間ほどの間に何百という舞台があり、広場とそのメインストリートでは大道芸からコンサート、パフォーマンスなどさまざまな催しがある。世界中から来た観光客とボランティア・スタッフによって広場や通りは埋め尽くされて、街が演劇祭一色に染められる。いや、演劇祭によって街そのものが作られる。今年もユージェニオ・バルバをはじめ、さまざまな国の名だたるアーティストや作品が招聘された。だが、やはりフェスティバルの目玉は、地元のラドゥ・スタンカ劇場の作
品だろう。いくつものレパートリーが上演されたが、そこから一つを挙げたい。
 プルカレーテが演出した『ファウスト』。基本的に物語は『ファウスト』をなぞるが、プルカレーテの演出は独特の世界が構築される。工場の跡地を改装した空間に、四方を取り巻く白一色の壁と背景には大きな窓がある。この窓から映される空や暗闇、人影は不穏な空気を醸し出し、ときに蠢くものたちが室内で繰り広げられる光景を見つめる。俳優たちはすべて白塗りで、ファウスト、メフィスト、グレートヒェンはもちろんだが、通路から一斉にあらわれる数えきれない俳優の一群も同様だ。
 だから、舞台の基調は一見すると白で統一された無機質なものだが、ときにおぞましいまでの人間の欲望が生々しさへと転化して見せられる。無垢であったはずのグレートヒェンが、これから歩む道の暗示としての暗さや、その帰結としての血にまみれた嬰児殺しのシーンの演出などは、その無垢なる白さとしての人間が堕ちていくさまであり、その対比が際立つ。
 確かに、『ファウスト』第1部は、物語の骨子がはっきりしている。すべてのシーンが上演されていなくとも筋は追いやすい。だが、ときに挿入される、そのイメージとも言えるような神話や古代、中世の宮廷など様々な世界をめぐるファウストとメフィストをいかに舞台空間であらわすのか。その典型が、グレートヒェンが誘惑されて身ごもったあとのヴァルプルギスの夜のシーンだ。
 そこでは観客は実際に別の空間へと誘導される。目の前の舞台が割れて、その奥へとすべての観客は席を立って移動する。まさに観客も異世界へと連れていかれるのだ。そこでは、さきほどまでの一群が練り歩き、あるものは次々と火吹きをし、あるものたちは実寸ぐらいの犀の模型と練り歩き、火と花火とその匂いがたちこめ、悪魔たちのまるでサバトのような空間がある。両脇に分けられた観客は立ったまま、その異世界をなかば呆然と見つめることになる。
 やがて強烈な空間は終わりを告げて、また再び観客はもとの席へともどる。そこからは一挙に終わりへとなだれ込むのだが、そのスケールの大きさはなにも舞台空間だけではない。演出家が描く『ファウスト』のイメージ自体が壮大なのだ。だから、この作品は『ファウスト』から教訓めいた、教養の精神や人倫の道を得ようとするようなものではない。むしろ、そこで描かれた世界そのものを、プルカレーテのイメージに変換して映そうとしている。しかし、それは決して私たちの世界からかけ離れていない。たとえば、あるシーンではどこかの教室でコンピュータを叩き続ける生徒たちがいる。魂を売る前のファウストは狂った科学者のようにも見えるが、求めた知識欲はメフィストとともに違う欲望に取り憑かれていく。そこには数世紀経っても変わらない人間たちの姿がある。
 その世界観そのものを提示するような演出は、小さな物語を映そうとする最近の演出家の傾向とは双極だろう。







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