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評者◆秋竜山
「ハダカ」はペンに限る?、の巻
No.3364 ・ 2018年08月18日




■たとえば、漫画を「まんが」といい、「マンガ」と、いうようになり、「MANGA」と、なった。その変化も、それなりの理由があり、その時代性を感じさせる。「漫画」と、いうと北斎漫画がすぐ連想できる。時代がそうなのかしらないが、日本の独自な漫画である。その時代だから、うまれた芸術であると思う。そして、今の時代からみると、たしかに江戸時代という人々の姿形であり、ハッキリいえることは、芸術性は別としても、古くさい画風である。北斎漫画をみていると、モデルとなっている人物そのものが古くさいのか、それにともなっての画風が古いのか。しかし、日本人であることは間違いない。パッとみて、古い!! と、思わせる。反面、すごいなァ!! 北斎は……。となる。「漫画」が「まんが」と、なる。だからといって、新しいとか古いとかいうことではない。時代が変われば、変化する。その時代の中でうまれるのが「漫画」であり「まんが」だ。そして「マンガ」となる。毛筆で描かれていた漫画がペンで描かれるようになる。外国マンガの影響であり、ペンの時代だというザンシンさがあった。本格的にペンになったのは、「マンガ」となった昭和のはじめの頃だった。外国マンガの影響下にあった、「ナンセンス・マンガ」の時代であった。マンガ家はみんなペンでマンガを描き、毛筆の時代は終わったようであった。それにしてもペンで描かれたマンガをみると、毛筆で描かれた漫画が特別に古くさく感じられてしまった。
 中野明『裸はいつから恥ずかしくなったか――「裸体」の日本近代史』(ちくま文庫、本体七六〇円)。以前にも取り上げさせていただいた文庫本である。〈「はだか」から「ハダカ」への移行〉という項目があり、日本人の裸体について。
 〈日本人の裸体観が変化する兆しを表している。視線が裸を通り過ぎるようには、それは「はだか」でしかなかった。ところが好奇に満ちた眼差しは裸の上で停止する。すなわち見られる対象になることで、「はだか」は性的な鑑賞物としての「ハダカ」になる。そして、性と直接的に結びつく「ハダカ」は隠されなければならない。しかも、この裸体の鑑賞物化は、特殊な職業につく女性ではなく、ごく日常的に生活する一般女性を対象とした。〉(本書より)
 「はだか」から「ハダカ」になる。「裸」から「はだか」、そして「ハダカ」である。「漫画」から「まんが」そして「マンガ」へと変化した。毛筆で描かれていた「漫画」から「まんが」、そして、ペンに変わって「ハダカ」である。ちょっと、考え過ぎか。変にむすびつけないほうがよいかもしれない。毛筆による「ハダカ」もいい。ペンによる「ハダカ」もいい。どっちもいい。あの天才北斎がペンで日本女性を描いたら、どのような北斎女性がうまれただろうか。「北斎」から「ほくさい」、そして「ホクサイ」となる。北斎漫画をペンで模写してみる。私の力量では、どうにもならない結果である。「ハダカ」も「日本画」と「油絵」ではまったく違ったものになる。
 〈日本人の裸体観は、「はだか」から「ハダカ」へと移行する。(略)やがて、現代的な羞恥心が芽生えることになる。〉(本書より)
 「ハダカ」はペンに限る。いや、毛筆に限る。意見のわかれるところだろう。







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