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評者◆平井倫行
一人でお茶を――「江戸の悪 PARTⅡ」展(@太田記念美術館、6月2日~7月29日)
No.3361 ・ 2018年07月28日




■夏の夕刻、一人で喫茶店のテラスにいると、高校時代に授業をさぼり銀座の旧歌舞伎座で観た『一谷嫩軍記』の光景を思い出すことがある。
 平敦盛と熊谷直実との決闘と、その哀しい結末を描くこの演目の筋書きは、未だ義務を知らぬ少年の多感な性質を強く打つものがあり、やむにやまれぬ事情と配剤の中、自らの運命に対する諦念によりて、必ずしも己の本意ではない悲しみをさえ、時に人は、あたかも自身「要求」するところとして希望せねばならぬという因業に、理不尽な、しかし清廉なヒューマニズムを感じたものである。
 一般に日本の、ことに江戸文芸の世界において「因果応報」や「勧善懲悪」を基本定理とした悪の讃美、悪の美意識化が果たされるという主張はかねて多くなされるものであるが、「悪の華」とはしかし現実的にいって、日本人にとりどちらかというと、このような「不可避の悲惨」、広義の意味での「悲劇」の領域に属するものとして、多く描写されてきたように思われる。
 例えば「残酷」、これは「悪」を美的主題として表現する際には必ず論点として扱わざるを得ない重要な感覚であるが、この場合「残酷」とは、ただ一口にグロテスクな性格や状況描写、行為の残虐性にのみ基づくものではなく、よりもっと「高次なもの」、つまりは人が人として生きることの本質に強く抵触されながらも、その出来事としての主体性からは、遥かにずっと、遠ざけられているような、ある「遮絶」を前に立ち尽くした人間の、ほとんどは「驚愕」や「戸惑い」にも似た「悲劇性」である、そのようにいえるのではないであろうか。
 原宿にある太田記念美術館で、まさに現在開催されている『江戸の悪』という名のテーマ展示においても、そうした日本文芸における悪や、あるいはその観念に対する広域的かつ多角的な視点考証からは、我が国に傾向として存在する「悪の美」の観念がしかし、単純な外連味や嗜虐享受にのみ依拠するものではなく、常にそれが「正常な世界」を何がしかの形において補完せざるを得ぬがための「犠牲」や「因縁」によって導かれる、そのような意味での不可逆な「異常性」、いうなれば、「人の世の業」とでも呼ぶべき他はない現実の酷薄として受け取られてきた、歴史的情感をうかがい知ることが出来る。
 往時の人々にとって「悪」とは、「ただそのままでしかなきところのもの」、即ち「人間」だったのではないか。
 事実、江戸文芸の世界においては義賊や侠客など、善の性質を付与された「悪人」がしばしば登場する一方、特に幕末から明治にかけては「悪を悪そのものの魅力として体現」する人物も多く造形されているが、それら事例を少しく真面目に検討してみるに、謀反や復讐などのごとく、何か個々の事情においては納得せられる理由をもって悪人「となった」人物や、あるいは深い悲しみや、筋立った批判に基づく明確な意志と動機を有し悪人「となる」人物よりはむしろ、さしたる根拠も覚悟もなく、その場の「流れ」で結果悪人に「なっている」者の、実の多さに気付かされる。善に生き、侠に生きることを望みながらも、詮ずるは金と物の成り行きから義父を殺してしまう『夏祭浪花鑑』の団七九郎兵衛などは、まさしくそうした世界観を象徴するものがあろう。
 本展示会場においても観られる、月岡芳年の《英名二十八衆句》の内の一作《団七九郎兵衛》では、文字通り「血みどろ」でのたうつ舅・義平次に跨る団七の、白い背中に哄笑した、閻魔の彫物が印象的である。

 「思えばはかない、身の上じゃなあ」

 歌舞伎における悪を「残酷の美」と評した服部幸雄は、こうした日本演劇における定型的詠嘆がしばしば独白ではなく唱和形式をとるのは、そこに現前されるのが根本的な意味において個に帰せられるような責任ではなく、その場に属する全ての人々が分有すべき、生存の「儚さ」に基づくからである、と説明した(「閉された社会の悲しみ」)。
 出会い方が少し違っていたならば、あるいは誰かが、誰かに対しもう少し優しく、誠実であれていたならば、結末はまるで違っていたのかもしれない。
 しかし、事実は「そうはならなかった」し、また「そうなりもしなかった」。
 そこには善も悪もなく、ただ「人間」だけが生きている。
 悪がもし仮に、我々にとって「魅力的なもの」であるとしたならば、それは、罪を犯さざるを得ない人間の有す人生の多様さが、倫理的な価値基準をこえた、人生そのものの価値基準においてきっと、敬意を払うべきものであるからに相違なかろう。
 今回展示は、多分野連携の試みとして他に、都内六箇所の施設で同テーマによる並行企画として開催されていて、世の中まま、他を殺してやまぬほどに美徳と良俗が重んぜられる今日、これだけ悪という問題が公然と多くの人々の関心を集める背景にどのような現実があるのか、興味は尽きることがない。

 「人はなぜ、悪に、惹かれるのか?」

 それは恐らく、人が「雑踏」に対し抱く愛着に、等しく適ったものである。
(刺青研究)







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