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評者◆稲賀繁美
オディロン・ルドンから武満徹へ――《閉じた眼》における夢の転生と霊の出現
No.3357 ・ 2018年06月30日




■武満徹(1930‐1996)の《閉じた眼》(1979)は、副題に「瀧口修造の追憶に」とあるように、私淑した詩人瀧口修造(1903‐1979)の死去に前後して作曲された。このピアノ独奏曲は武満の作風が大きく変貌する時期にあたる。原塁は《閉じた眼》の曲中には彼が「動機」と呼ぶ断片が「切り貼り」編集されていると指摘する。それらは冒頭のモチーフを反復強化するような「発展的変奏」というより、むしろ曲が進むにつれて「減算的」に変容する。原はそれを「忘却」と呼ぶ。先立つ時期の「前衛」的な《ピアノ・ディスタンス》(1961)では唐突な単音が佇立し「現在」を際立たせる。だが《閉じた眼》は対照的に取り止めのなさを印象づける。
 これより2年前の《鳥は星型の庭に降りる》(1977)について、武満は証言を残す。マルセル・デュシャンは自分の後頭部の頭髪を星形に刈り取った。その肖像写真を見た日の夢を着想源に、武満は5音階の音程関係を魔法陣に見立て、ピッチ素材を構成した、という。その著しく理知的な操作の延長上とはいえ《閉じた眼》を聴くと、そうした技巧を靄のうちに溶け込ますような工夫が確認される。清水徹は「宇宙を無限に循環する水」という比喩を武満の発言から拾っており、折から流行中のガストン・バシュラール『水と夢』からの影響も推測できる。だがここでは題名《閉じた眼》の起源、オディロン・ルドン(1840‐1916)に戻りたい。
 《閉じた眼》はオディロン・ルドンの油彩(1890)に由来する。版画による「黒の時代」から清冽な色彩の乱舞への移行期に位置する。本作を捧げた瀧口修造経由で、武満はルドン絵画に親炙していたようだ。さらに1980年のNHK日曜美術館で、武満は青年期に駒井哲郎のアトリエでルドンに接した体験に言及し「太古の記憶」が漂う夢想を感じたとも語る。ここでダリオ・ガンボーニの近年の観察が、新たな示唆を与える。即ち、ルドンの作品には、複数の発想源が重奏され、描出される人物も、重ね描きの過程で変容し、偶然の描線から新たな人格が現れる。そこには19世紀末流行したフランシス・ゴルトンの感化が想定される。
 優生学の提唱者として名を残すゴルトンは、多数の顔写真を重ねた像からは、特定の個性を喪失した「名無し」が出現することを発見した。あたかも夢のなかで記憶が圧縮・変成され、知人だったはずの表象が誰とも分別のつかぬ別人格に変容するのにも似て。ルドンの版画集『夢のなかで』には、亡霊が憑依して出現する。武満の《閉じた眼》にも、もはや「個」を越えた霊的存在との交感が、忘却と想起の流れのうちに消長する。「宇宙を無限に循環する水」とは唯識の説く譬えだが、ルドンも仏教に
惹かれ、輪廻転生に憧れていた。武満は『夢の引用』で述べる。夢に現れる形象は著しく鮮明だが、言語では捉え難く「物語的なつながり」の網を掻い潜り、曖昧で多義的な非現実性を帯びると。管弦楽曲《夢の引用》(1992)で武満はドビッシーの交響詩《海》(1905)の断片を引用し、喪失途上の夢想に旋律を託す。
 無時間的な記憶が不意に意識の表層に再帰する――断片と化して。凍結した過去が地殻変動よろしく隆起して解凍される。ジャン・バラケの言う「忘却の断片」、それらが不意に重層して音列を奏でる。「過剰なる想起」のたゆたい。そこには武満の幼少以来の映画体験の地層に加えて、オディロン・ルドンの夢想との意外な親和性も間欠泉として働いていた。エルネスト・ショソンらの音楽家たちとの交流を楽しんだ器楽曲演奏家ルドンの霊が、武満の《閉じた眼》の夢想の裡に、ゆくりなくも、不意の出現apparitionを果たしたかのようだ。

※三菱一号館美術館・ルドン展にちなむ日仏会館での国際シンポジウム(2018年5月12日)席上のダリオ・ガンボーニの発言(同氏『ルドン《アモンティラードの酒樽》』三元社)、2013年及び、美学会関西支部318回例会(5月26日)での原塁氏の口頭発表「武満徹のピアノ独奏曲における時間の変容」から情報と着想とを得た。







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