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評者◆宗近真一郎
「アメリカ問題」はすでに削除され、つねに復元される――さよならアメリカのためのエスキス⑥
No.3356 ・ 2018年06月23日




■三番目に、アメリカの本質という項目を立てて考える。冒頭のところで記したが、ぼくの最初のアメリカ滞在は第一次湾岸戦争の勃発の直前だった。ロサンゼルス郊外の住宅地の木々には、一様に黄色いリボンが結ばれていた。ほどなく「戦争」は終わり、巷にはHomecomingの文字が踊った。二度目の滞在は、九・一一の出来事の直前からだった。そのとき、シカゴのシアーズ・タワーの隣の高層ビルの二十三階のオフィスに置かれたTVのライブで、ナレーターがジャップのカミカゼだと連呼するのを聞きながら、NYのワールド・トレード・センター・ビルが倒壊するのを目撃し、ぼくは百人余りのオフィスの職員とともに、階段で地上に退避した。
 とくに、最初のアメリカ滞在は、「発見」に満ちていた。当時、機会あるごとにその「発見」を手近な媒体に書き散らしていたが、それは、アメリカには、そこがまさに国生み現場であるかのような神話作用の力線が張り巡らされており、その力線に接触し、自ら絡むことが、まるでアメリカの「第一発見者」であるかのような快感があった。古くはフランスから渡った永井荷風の「あめりか物語」、江藤淳や西部邁ら保守派言論人の体験的アメリカ批判や司馬遼太郎の「アメリカ素描」、石川好のカリフォルニア論、コラムニストとしての鮎川信夫の「私のなかのアメリカ」などの参照の堆積があったにもかかわらず、毎日、通勤でフリーウェイを走り、ダウンタウンの旧市街のスラムに林立する廃墟ビルを通り過ぎ、ハリウッドのライブハウスに出没し、週末にはクルマを百マイル転がしてモハベ砂漠に出かける、それらすべてのシークェンスに「発見」が犇めいていた。「発見者」の小さなヒロイズムがぼくの心を占めた。
 それら「発見」に陶酔した草稿たちが書き散らかされてから三十年近くを経るわけである。あのとき、「発見」の快感に牽引されたエクリチュールは、いま、「発見」を脱構築する、あるいは、そもそもアメリカがねつ造された錯視のような「発見」において世界史に現われたからくり、「発見」に伏在する罠を外す、つまり、「発見」からの帰路を描くべき審級へとシフトしているのかもしれない。それは、ぼく自身において経過した時間と、湾岸戦争、九二年のLA大暴動、九・一一の出来事とそれに続くブッシュ・ジュニアによるアフガン空爆、そして二〇〇三年のイラク攻撃というアメリカの地政的な時間を交差させることによって、あのときの神話作用を解体することになる。現実的に、「再び、偉大に」なることに腐心するトランプのアメリカは、「ブリュメール十八日」の冒頭でマルクスが、歴史は繰り返す一度目は悲劇として二度目は喜劇(茶番)として、と記したように、自ら神話を剥がしつつあり、それは、この国の「戦後」という共同性を解消する契機と内在的にクロスしていると考えられる。
 アラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉』(菅野盾樹訳、みすず書房、一九八八年十二月刊)は、アメリカで一九八七年に刊行された。とても啓蒙的かつ悲観的に振る舞うこの著者は、まず、民主的人間から民主的パーソナリティへと対象をシフトした教育実態と乖離した学生たちの生活実態やロック音楽などのポップ・カルチャーへの傾斜を嘆いてみせる。かつての、フロンティア精神、自由や平等といった理念を構築しようとする意志がいつの間にか消え去って、アメリカの様々な文化的シークェンスは価値相対主義に収束しつつある。その現象として、魂の野生状態ともいうべきフェミニズムが跋扈し、男はどんどん責任感覚を失い、感情の抑揚が極小化したアパシーが遍いている。学問は機能において細分化され、産業社会からの要請を無批判に受容する。ブルームがマッチョなスタイルで遂行した文化相対主義批判、リベラルアーツ軽視への批判は、日本では、一九九五年のオウム真理教事件以降に、宮台真司によってフィールドワークされ社会現象として顕在化した「終わりなき日常」に類似している。宮台が「終わりなき日常」を「生きよ」と女子高生たちをサポートしたのに対して、ブルームはギリシャ、ヨーロッパの「思索者」への憧憬を持ち出して、学のオーソドキシーへの回帰を主張する。そのブルームは次のように言う。
 〈アメリカ人には一日でなることができる。これはアメリカ人であることの意味を軽んずるものではない。生まれもっての情念と生まれもっての理性が手を結んで、古代から伝えられてきたかの格率――「都市は母なる国から生まれた有機的な統一体に似ており、一市民と都市との関係は、一枚の葉と樹木との関係に等しい」――に戦いを挑むのである〉(四六頁)
 アメリカには原理的に「よそ者」が存在しない。一方、フランス人になることができるのは、歴史的反響音の複合体であるフランス人だけである。アラン・ブルームの発想の一義性は、〈とはいえ、アメリカ人の単純さに最初に出会ったとき、われわれは正しいのだ、無から始めることも不可能ではない、陶冶されていない本性で十分だ、と私は思い込んでしまった〉(四七頁)という内省と不可分である。アメリカ人は歴史的な有機的統一の拘束から自由である。だから、アメリカ人は自由と平等が間断なく進歩し、その「正義」の本質を鍛え上げるという物語の恒常的な話者でなければならない。ブルームによれば、アメリカン・マインドとはほぼそのようなことだ。いいかえると、ヨーロッパの有機的統一という格率に替えて、自由と平等を絶えず更新する精神に準ぜよというもうひとつの格率に身を挺するのである。そこには、捩じれのようなものがある。すなわち、「無から始める」ことの意志の基準、フロンティア・スピリットという原理で自らを鼓舞する一方、自由と平等を「正義」へと布置するイデアの基準にはヨーロッパ的啓蒙主義が内在的に反復されるのである。
(評論家、詩人)
――つづく







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