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評者◆睡蓮みどり
想像力の問題――ブノワ・ジャコー監督『エヴァ』
No.3355 ・ 2018年06月16日




■一番堪える罵倒のされ方とは何だろうか。よく知りもしない相手から悪口を言われることや、根も葉もないしょうもない噂を立てられることには比較的慣れてしまっているようで、割合動じない方だとは思っているのだが、やはり、それでも言われたくない言葉というのはたくさんある。そんななかで、もし、想像力がないね、だなんて本気で言われたら、もう悲しくって生きていけない。特に何らかの創作を仕事なり生きがいにする人間にとっては、この上ない罵倒に値するのではないだろうか。
 ジャンヌ・モロー主演の『エヴァの匂い』(1962年、ジョセフ・ロージー監督)と原作を同じくするブノワ・ジャコーの最新作『エヴァ』は、監督が自らも言うように、全くもってリメイクなるものではない。ジャンヌ・モローの名演技によって、お金のために男たちの気持ちなど一切御構いなしに振る舞う謎めいた魅惑的な娼婦として完成された悪女のイメージを纏ったエヴァは、今作で、ギャスパー・ウリエル演じるうだつの上がらない主人公の戯曲作家ベルトラン・バラデの視線や精神状態を通して、イザベル・ユペールが演じるエヴァの新たな悪女像を作り上げていくのである。
 人はどこかで偶然の運命的な出会いを夢見ているものかもしれない。少なくとも、戯曲作家として、人から絶賛されるような物語の創造を夢見る男にとっては、別荘の窓を割って侵入し、自分の所有物であるかのように勝手に風呂に浸かっている女は、想像をはるかに超えるヒロインの登場のように映ったことだろう。突然の〈運命的な出会い〉は、証として、そのとき彼女と一緒にいた男だけが無残にも極寒の中に放り出されてしまう。まるで最初から存在していなかったかのように。そもそも盗作によってひとときの名声を得たベルトランは、新作を書けずに焦っているのだったが、エヴァとの〈運命的な出会い〉と〈運命的な再会〉によって彼の新作の題材にすべく、取材と称して密会を重ね、彼女との距離を縮めていこうとする。作ったプロットはこうだ。「身勝手で冷酷、人を騙す女」を「自分に惚れさせて逆にやり込める」という非常に陳腐なものだ。一方で、そういったB級ゴシップ誌以下の見え透いた想像力を嘲笑するかのように、エヴァは秘め事なく堂々と存在している。実際に、彼女を探ろうと質問を繰り返す男に向かって「なぜ、なぜって子供みたい」と言ってのける。
 エヴァにはいつでも悪意なんてものはない。客の男たちから決められた額を受け取り、淡々と自らの仕事をこなすだけである。それどころかご丁寧に「のめり込まないで」とベルトランに忠告までする親切ぶりである。またエヴァが娼婦を続けるのはお金のためではあるが、それは愛する夫を救うためでもあり、劇中に理由が明確にされる。補足しておくと、ベルトランには、若くて美しい婚約者、偽りとはいえ名声、パトロン、そして自身の美貌と、他人から見れば羨むほどの全てが揃っている。それにもかかわらず、忠告に反してエヴァにのめり込んでいくのである。
 作中でエヴァの年齢が明確に明かされることはないが、実際にユペールは現在65歳(撮影当時でも63歳)でギャスパー・ウリエルは33歳である。母親といっても何らおかしくない年齢差である。実際に二人が32歳差だというのは数字だけ見ると驚くべきものがあるが、年齢差があること自体に気を取られてしまうこともなく、何の違和感もなく、エヴァはナチュラルな魅力を発揮しているのである。この役ができるのは確かにイザベル・ユペールをおいてはちょっと考えられない。非常に知的な大人の女性の色気を備えつつも、不意に少女のようなあどけない表情をする。本作に限らず、いつでも完璧に役の本質を掴みつつも、どこかこれはユペール自身なのではないかと思わせる、実に想像力を掻き立てる女優である。彼女を観るだけでもこの作品には価値がある。
 さて、エヴァが男たちと繰り返す密会は、ベッドの上に横たわってはいても、煽るような生々しい過剰さはない。しかし物足りないということは全くなく、むしろそのシンプルさが成熟そのものを象徴するかのようなのだ。実際にベルトランは、彼女の肉体にのみ溺れていくわけではない。もっと曖昧で不安定な依存の仕方だ。想像力への渇望とプレッシャーが彼の目を歪ませたのだろう、その絶妙なバランスが直接でなくとも映画の中でちょっとした音や映像で現されている。官能的でありながらも、主人公同様に、自身の想像力を試されるような非常に挑戦的な表現である。
 先ほども記述したように、エヴァ自身には悪意も目論見もなければ、何かを企んでアクションを起こすこともない。勝手に「もう会わない」とメールを送りながらも会いにきたのもベルトランからだし、エヴァの存在を気にかけたパトロンが彼女を買いにきたのも彼の意思だし、別荘で鉢合わせてしまった婚約者も、意思とは無関係だが自らやってくる。言ってしまえば、いつだって巻き込まれるのはエヴァの方なのだ。とはいえエヴァの言動の端々から、これまで過去の映画で描かれた魅力的な悪女たちの姿を重ねずにはいられない。『悲しみよこんにちは』(1958年、オットー・プレミンジャー監督)でちょっとした出来心から父の愛人を追い詰めたセシールと、勘違いから自ら死に突き進んだアンヌ。そして互いの肉体の魅力に惹かれアパートの一室で逢瀬を繰り返すも、自分にのめり込んでしまった男に急に恐怖に感じ殺害し「誰だかわからない」と言い放った『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972年、ベルナルド・ベルトルッチ監督)のジャンヌ等々。エヴァにどこかで悪女たちの影を重ねたいと願望を抱いていることに気づく。願望と拙い想像力の果てに破滅へと突き進む主人公を一蹴するかのように、日常に戻っていくエヴァを前に、男はひっそりとフレームアウトするしか術がない。ギャスパー・ウリエルの爽やかで整った風貌がより一層哀れに思える。しかし、自身の中に何もなかった男は、エヴァとの出会いを通して少しは自分が血肉ある肉体を持った人間であるということを感じざるをえなかっただろう。これから先、おそらく彼は立派な書き手になるだろう、という願望を抱きつつ、彼の新たな人生を拙くも想像してみるのだった。
(女優・文筆家)







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