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評者◆宗近真一郎
「アメリカ問題」はすでに削除され、つねに復元される――さよならアメリカのためのエスキス⑤
No.3355 ・ 2018年06月16日




■有史以来といってもいいし、近代以降といってもいいが、日本は、国家と国家との衝突という意味での戦争で負けたことがなかった。負けない限り、「戦争の罪」は問われない。戦争の勝者が自らの戦火の悲惨を問うことはない。あるいは、負けたとしても再帰的な罪障感の鈍さが露出したことであろう。ところが、現実的に、はじめてアメリカに負けて、中国での大量殺戮や慰安婦のことをはじめ罪科の糾弾とその償いの要求が多方向から一気に吹き出てきたのである。そして、「お前は罪を負っているんだぞ」と最初にたたみかけてきたのがアメリカであり、アメリカは強靭なシニフィアン(意味する力)として現れた。現実的には、先に述べた通り、日米関係をフレーミングしている日米地位協定の前身である日米行政協定である。これは、先に触れたように、サンフランシスコでの講和条約のあとに吉田茂がこっそり単独で調印したというのが史実だが、実際には、昭和天皇が、共産勢力の蜂起を怖れて、米軍駐留の継続を切望した形跡が、白井聡による『永続敗戦論』(太田出版、二〇一三年三月刊)で見出されている。一方、アメリカは戦後の日本の復活を阻止する対日外交施策を恒常化する法規制をいち早く措置した。
 もういちど。アメリカは日本にとってリヴァイアサンである。このホッブスのタームは、万人が万人に対して争う野生状態を平定する絶対的な(理念の)力のことだが、敗戦において、ドイツにおける自己回帰性を、日本ではアメリカが代替したという意味で、倫理感覚の中枢さえもがいまだにアメリカに占拠されているのだ。言い換えると、戦後日本は、ついに、精神的(倫理的)に自立したことがなかったということである。初期の加藤典洋は、『アメリカの影』(河出書房新社、一九八五年四月刊)で、アメリカなしにはやっていけない「弱さ」のコンテクストで、江藤淳が村上龍をサブカルチャーと貶めながら田中康夫の「なんとなく、クリスタル」をなぜ評価するのかについて、次のように書いている。〈この「弱さ」の自覚、アメリカなしにやっていけず、アメリカにたいして独立してやっていくことも叶わないという不可能性の自覚こそが、江藤のいう「批評精神」であり、実をいえば江藤をつつみ、同様に田中を呑みこんでいる「ニヒリズム」の顔なのではないか。/ここでぼくがいいたいのは、戦後の日本にとって「アメリカ」というのは、大きい存在なのではないか、ぼく達が考えているよりずっと深くアメリカの影はぼく達の生存に浸透しているのではないか、そしてぼく達を「空気」のように覆っているこの「弱さ」はこの、アメリカへの屈従の深さなのではないか、ということである〉(二三頁)。
 江藤淳は、その後、「民主主義」の御旗の下でアメリカの占領政策が行った検閲行為を激しく批判し、日本は「閉ざされた言語空間」であると主張した。だが、江藤のプラグマティックな批判は出来事の周囲を旋回し、アメリカの倫理の中心を撃つには至らなかった。つまり、ファクトを批判しても、プリンシプルに批判出来ないことがリヴァイアサン=「大きな存在」を逆証してしまった。アメリカ批判の挫折を代替するように、あるいは「弱さ」を裏返そうとするかのように、日本は、「経済成長」という地上的なミッションに自らを委ねた。この国家方針は、日本人の自己同一性の恢復をサポートするかに見えたが、現実的には、やみくもに自然を傷つけ続けて石牟礼道子の『苦界浄土』や富岡多恵子の『波うつ土地』に描かれた自己同一性の内在的かつ身体的な崩壊に帰結した。国土・自然は高度成長期に「公害」という出来事によって圧倒的に毀損されたのである。
 貿易における日本の最大の輸出国はつねにアメリカだった。米ドルと日本円の為替相場は、戦後ブレトンウッズ体制で決められた一ドル当たり三六〇円の固定相場から、ニクソン・ショックを経て、一九七一年のスミソニアン合意で変動相場制に移行し、第二次オイルショックの後のドル高を是正するという趣旨で、一九八五年のプラザ合意、八七年のルーブル合意などの先進国首脳の折衝を経ながら、日米貿易摩擦がピークだった一九九〇代には一時的に一ドル当たり八〇円を割るところまで亢進した。このドル円為替相場の大きな変動は、日本の対米貿易黒字が積みあがった時期に集中しており、結果的に、日本に蓄積したドルがその都度大幅に減価するかたちとなった。
 ここでは、そのメカニズムを数理的に解析しないが、次の二つのことは言えるのではないか。まず、戦後、すでに世界最大の消費国家であるアメリカに対して、日本は、「自己回復」に捩じれを生じ、国土と自然を犠牲にしてまで、「高度成長」にまい進し、アメリカの消費をカバーしてきた。次に、対米黒字の継続によって日本に蓄積した外貨準備高は、大半がアメリカの国債で構成され、経年の黒字額は、対円ドル相場の低下によってしばしばオフセットされた。つまり、日本がアメリカのために、国土を犠牲にして作り、売り、貯めこんだドルの価値がどんどん下がった。吉川元忠が為替の「帝国循環」と呼んだアメリカが張り巡らせた経済的狡知である。
 加藤典洋が「アメリカの影」を公表したのは、一九八二年で、公刊は八五年四月である。それから大凡三十年が経過し、加藤は戦後論を輻輳的に拡充し、二〇一五年十月刊行の『戦後入門』(ちくま新書)では、世界戦争の可能性および憲法九条の効力と運用の具体案を集中的に論じている。日本における「憲法制定権力」が憲法に拘束されないという事態を突破する処方として、加藤は、〈憲法を「使って」この憲法制定権力を日本の外に撤退させる、そのことによって、憲法を「わがもの」にするしか、方法はないのです。そしてその場合のカギが、この制定権力の交代を国際社会との連帯のもとで行う憲法九条の遵守の意志表明と、国連中心主義の追求なのです〉(五三〇頁)と提案した。法における「構成的理念」と「統整的理念」との本来的な葛藤を収奪しているリヴァイアサン=アメリカが布置されたフレームを抜け出るために国連が呼び求められるのだ。
 国連とは国と国との武力衝突である戦争を抑止する機関である。第一次大戦の主にヨーロッパでの惨禍を踏まえ、ヨーロッパ公法を集約するかたちでヴェルサイユにおいて組成された国際連盟が、ドイツへの過大な賠償請求などの要因によるヴェルサイユ体制の揺らぎとヒットラーの台頭、枢軸国の形勢によって瓦解したことへの反省を踏まえ、より強固な戦争抑止(国際平和と安全の維持)を志向して、一九四五年十月に国際連合が発足した。しかし、二〇〇一年九・一一以降のアメリカは、テロとの戦争を唱導することにより、「戦争」を再定義し、歴史的な戦争経験からの普遍主義に基づく国際連合の圏外に出て行こうとしている。九・一一以降、「テロリズム」に「法秩序の敵」というラベリングがなされた。ところが、「テロリズム」は、政治学のオーソドキシーにおいて、もともとは、権力の正統的な統治形態のひとつだった。また、若年のモーリス・ブランショは「世界との無垢な接触、あの世界の鮮烈さを探究することであり、これはあらゆる芸術の究極の目標である」と記した。語源的にも多数的なアプローチがありそうだが、それは措くとして、恐怖の共通感覚を政治化する「恐怖政治」というイメージが馴染む。繰り返すと、テロリズムは本来的には、政治形態のひとつなのである。
 ところが、アメリカは、九・一一の出来事を口実にして、まず、ムスリムによるゲリラ的な攻撃を「テロリズム」と断定し、次に「テロリズム」を法的無秩序(国際法の敵)と断定し、さらに、これが一番重要であるが、非合法には非合法的暴力で臨むという態度を自ら正当化した。これが、「テロとの戦争」のメカニズムである。西谷修、鵜飼哲、宇野邦一による『アメリカ・宗教・戦争』(せりか書房、二〇〇三年三月刊)に収められた二〇〇二年九月の鼎談で、鵜飼哲は次のように語った。〈今度のアメリカのイラクへの先制攻撃を正当化する議論は、ヨーロッパ人の目から見たら、ヒットラー的なものへの回帰以外の何物でもない。戦争を違法化することで、ヨーロッパはなんとか新しい秩序をつくろうとした。そのすべてをご破算にしようとする。それこそ逆行であって、こんなものが通るんだったら国連自体を破壊することになる。イデーにおいて。しかし、可能性としてそういう事態が見えてきた以上、国連秩序は完全に脱構築過程に入りましたね〉(一〇六頁)。
 日本国憲法九条に内在する超越性を死守するために、日本の護憲論の実践として、あるいは、加藤典洋的な射程において、その超越性を抱懐しうるであろう国連、国連軍との協調が模索される。一方で、二〇〇三年の大量破壊兵器疑惑をでっち上げてのブッシュ・ジュニアによるイラク攻撃から、二〇一八年四月の化学兵器疑惑にかこつけた英仏を巻き込んでのトランプによるシリア攻撃まで、アメリカはユダヤ・キリスト教世界の守護をモチーフとする「テロとの戦争」のフレームを断行し、遂行する過程で国連を無化しようとする。局地的には、日本の「戦後」(を終わらせるポール・ポジション)をめぐって、グローバリズムにおけるテロとアメリカ的正義との相克をめぐって、国連は、両者が差し違える死闘の契機/トポスだと言えよう。
(評論家、詩人)
――つづく







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