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評者◆秋竜山
ロダン作であればこそ、の巻
No.3353 ・ 2018年06月02日




■上野のロダン作「考える人」は、ホントーに、考えている人なんだろうか。と、いう疑念を持ちはじめると、もーダメだ。もしかすると考えてなんかいないのではないか。あのポーズは、ただ肘をついているだけではないのか。考えてなんかいないで頭の中はカラッポ、あるいはボーッとしているのではなかろうか。そんなことを思いつつ、あの像の前で、こっちが考える人になってしまっている。白取春彦『「考える力」トレーニング――頭の中の整理法からアイデアの作り方』(三笠書房知的生きかた文庫、本体六〇〇円)で、
 〈考えることに慣れていない人は、考える必要にせまられると、振り返って探す。他人のやり方、過去のやり方を探し、それを真似るのだ。要するに、前例を探してその処理法を踏襲するという“役所仕事”の方法と同じだ。〉(本書より)
 あの“考える人”という像を見て、誰も疑いの眼で見ていないだろう。つまり、その題名について考える力を持っていないのである。それに、持つこともないと信じ込んでいるからである。ところが、ちょっと考える力を持つと、「まてよ?」と、いうことになる。そして、やっぱり、俺の考えたことが正しいのだ!! なんて思うことになる。題名をあらためることにすればいいのだ。“考える人”から“考えない人”にすればピッタリ像のフンイキが新しく生まれるだろう。そして、これからは“考えない人”ということにしたら新鮮であり、あの像のたたずまいも鮮明になるのではなかろうか。
 〈新しい考え方を生む際の全般に言えることは、“世間性からの離脱”がとても役立つということだ。“世間性からの離脱”とは、要するに世間的な常識や価値観、伝統的解釈、既成の法秩序をいっときでも排することだ。枠組みや縛りのない状態にあるときこそ、自由奔放な考え方が芽生えてくるのだ。この逆として、誰かへのおもねり、配慮、人間政治、懸念、気がかり、憂い、心配事、あせり、患い、困窮、抑うつなどがあれば、自由に考えを発展させていくことははなはだ難しくなる。〉(本書より)
 新しい考えは、新しい自分から生まれる。と、本書は述べている。“考える人”に、こだわるわけではないが(こだわっているではないか)、あの題名を“考えない人”とした場合、誰か文句をいう人がいたりすると思っていたら、誰も文句をいう人がいなかった、なんてことにもなるかもしれない。
 なぜ、あの像があそこに長い年月、あの姿勢のまま置かれてあるかというと、ロダン作であるということである。ロダン作であるということは、大芸術作品であるということである。仮にあれが、私の作であるなんてことになったら、その場で引きずりおろされ、くだかれてしまうだろう。ロダン作であればこそだ。そこで一つやってほしい希望がある。それは、あそこにロダン作に並べるようにして外側へ向けて“考える人”の像、もちろんロダン作以外の芸術家の作品である。あそこへ何十体となく同じ形のが並べられたら、いかがなものだろうか。なんて、私の考えることといったら、その程度のものである。「ウーン、この像が一番よく考えている」なんてのが生まれるかもしれない。もちろん、いねむりしている像もあるだろう。







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