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評者◆宗近真一郎
「アメリカ問題」はすでに削除され、つねに復元される――さよならアメリカのためのエスキス③
No.3353 ・ 2018年06月02日
■ところが、トランプは、アメリカ建国以来の原理を裏切るかたちで、「偉大さ」のベンチマークを足下の経済指標やアメリカ一国の経済的な豊かさに求めるのである。それは、明らかにイデアの忘却であり、アメリカはその起源において引き受けた世界性を自ら否定し始めたということである。言い換えると、アメリカはその国家形成の起源の本質が貫かれている限りにおいて、経済やヘゲモニーが多少劣化しても、それらとは別の位相で「偉大」でありえた。ところが、トランプの目指す「偉大さ」とは、一人当たりのGDPや雇用統計(失業率)、経常収支などの短期指標が改善されることにおいて、アメリカがヨーロッパや日本よりも経済的に相対的に優位に立つこと以外ではない。「偉大さ」は経済的な豊かさ、へと矮小化されたのだ。
多様性の反対語は均質性や画一性ということになるが、アメリカは、当初、ヨーロッパ公法の均質性に対する脱領土化の表象として現れた。ハンナ・アレントはアメリカ革命のフランス革命に対する優位性を示唆したが、それは、アメリカ革命(建国)の原理がフランス革命に連鎖して現れたロベスピエールの専制反動を回避できた複数性を保存できているということである。しかし、トランプを択んだアメリカ市民は、その複数性がヨーロッパの一元性から自らを疎外したかたちで獲得したにもかかわらず、それがいま、自律性をぎりぎりで確保しようともがく有機体としての国家の生存本能に準じるかのように、もうひとつの一元性に回帰しようとする姿を露出しているのかもしれない。 確かに、第二次大戦後、アメリカ自身のフロンティアが、主に広大な国土に依存する一国内のポテンツと均衡し、相応に機能して、世界性と経済力、軍事力すべての面で、圧倒的な時期があった。その後もしばらくの間、アメリカは、建国の原理など問うまでもなく、世界権力そのものだった。それは、第一次、第二次大戦の総力戦でヨーロッパ各国も日本を含むアジア各国も疲弊しきっていた状態が背後にあり、戦後七十年を経れば、地政状況が変化するのは当然である。アメリカを「再び」・「偉大」にと言い始めたとき、トランプは、二つのことを否定したと言える。ひとつは、「偉大」なアメリカという現実世界の姿(対他認識)であり、もうひとつは、アメリカの「偉大さ」の内在的な原理である。とくに後者に関して、アメリカは、ビジネスの経済的な尺度で相対的に「大きくて豊かな国」であればいい、そのミッションを短期的にキャプティブにこなす大統領を市民社会が択んだという事実の連鎖において、アメリカの没落は明らかなのである。 トランプの政治的発言の大半はツイッターtwitterで行われている。ツイート、tweet(つぶやき)。原語は鳥のさえずりを意味し、世界中に普及した一四〇字の短文投稿によるコミュニケーション・ネットワークである。トランプのツイートは、短絡思考と感情論と虚言(あるいは事実誤認)だらけであるという大凡の評価で、多言を費やす気にはならないが、その事象は、(アメリカの)原理の忘却、「反知性主義」と不可分であるに違いない。むろん、ツイッターやフェイス・ブックはコミュニケーションのデファクトであり、その局面で、トランプだけをくさしても仕方がない。一四〇字ぽっきりの思考停止は、ドッグイヤーやらマウスイヤーへと時間の目盛りが寸断されているグローバル資本主義におけるビジネスの様相と不可分である。ざくっと、(アメリカの)腹の足しにならないものは認めないのがトランプの「反知性主義」だと理解されるが、「反知性主義」は、自らの先住民殺戮の事実を剥製化し、歴史に取り消し線ばかり入れるアメリカの反歴史主義あるいは集団的な記憶喪失の符丁である。すべてを、現在の利害得失に還元して判断するということは、歴史(過去)だけではなく未来を否認することに他ならない。 また、二〇〇八年九月のリーマン・ショック(リーマン・ブラザーズが六千億ドル=@110円で六六兆円の負債総額で倒産)は一過性の出来事ではない。それは、アメリカの経済的な衰退が「進行性」であるその進行の現象そのものである。あの出来事でアメリカの資産は大きく毀損した。当時のアメリカ財務省の救済施策と財務支援は合計三兆七千億ドル=@110円で四〇七兆円だが、あのキャッシュが、どこにどう流れて消えたのかを精緻には誰も説明することが出来ない。財務支援はアメリカの大手金融機関になされた一方、サブ・プライム・ローンの債権が最上格格付けで証券化され、それを引き受けた全世界のステークホルダー(金融機関、投資家をはじめとする利害関係者)に、償却損と評価損というかたちで分散されたはずである。方や、フォークロージャーで持ち家を失うことで債務を解消した低所得者が大勢いた。購入の時点からフォークロージャーの時点にかけて物件の市場価格は激減したはずである。誰もちゃんと述べていないが、市場価格が変動する過程で富の再分配が起こっていることは間違いない。 (評論家、詩人) ――つづく |
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