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評者◆平井倫行
燃える朝焼け――「彫刻と人形」展(@小平市平櫛田中彫刻美術館、2月7日~5月20日)《鏡獅子試作裸像》と玉川上水の印象から
No.3350 ・ 2018年05月05日




■「彫刻と人形」という魅惑的な主題は、そもそも刺青芸術の成立や美学的な概念の間に横たわる実質問題であるように思われる。
 明治五年、岡山県西江原村で生まれた平櫛田中は、同二十六年に大阪の人形師・中谷省古のもとで木彫技術の基礎を学び、東京に移り住んでからは当代を代表する仏師、木彫師である高村光雲に師事を仰いだ。以後作家は、東京美術学校や日本美術院の創設に関与した岡倉天心の強い影響のもと、当時低迷していた木彫界の再生を企図し結成された日本彫刻会の初期メンバーとして、我国の近代彫刻の在り方と方向性に大きな足跡を残している。
 職人と芸術家、工芸と美術、その曖昧な峡間にたゆたう難問とは、まさしく平櫛の道程が今日に至るまで指し示す意義であると述べることが出来るが、伝統的に人体を特権的な主題として重視する感覚を有さぬ我国において、取り分け刺青は、同じく身体を場とする裸体芸術をめぐる問題として衣裳との関係から注視されることも多く、またまさしく彫刻と人形との差異は、その性質を裸体像と着衣像との差異を問うことから考えられる時、極めて具体的である。つまるところ、その形成の問題は「人間を造形する」という意味で同じ地平を共有しつつ、字義通り「皮膚一枚」を境域として成立の契機を別つ点にこそあり、それは衣裳性と裸身性との差異、人体を造形する際における基準としての、身体に対する眼差しの強度に関わる相違である、といってもよいであろう。
 実際、平櫛の作品には、およそこれらの問題系に属する多くの材料が、根幹的に含まれているように思われる。例えば主題選び一つにしても、取材される人物や教説などが想定されているものも多く、その様態はしたがって何がしか前提となる作品や「背景」を視覚的に表すものとして構築されており、必然、そこでは身体自体が主題として重視される以上に、着衣や彩色との関係が、大きな比重を占めることともなるであろう。別けても平櫛の代表作として知られる《鏡獅子》には、これらの論点が集約して表現されている。
 昭和十一年、新歌舞伎十八番の内『春興鏡獅子』の場面を造形したこの作品の制作が決定された段階から、平櫛はおよそ一月近く毎日劇場へと通い、決定的一瞬を捉えた。本会場にも展示されている《鏡獅子試作裸像》は、いわばその実作としての《鏡獅子》の制作へと向けられた「試作品」という位置づけになるが、重い衣服の下に最終的には「包み隠されて」しまうにもかかわらず、その裸体は実に精巧に造形されており、六代目尾上菊五郎に裸でのモデルを依頼した逸話に違わず、本作で捉えられた筋肉や力の流れなどは、確実に後の制作へと活かされていたと解される。
 戦争や、工程上の諸般の理由のため、《鏡獅子》の制作には途中、長い中断の期間が挟まれており、再開が果たされたのは終戦後昭和二十七年、その完成は制作開始から、実に二十二年もの月日が経過してのことであった。してみれば本作とは、作家が彫刻家としての人生を懸けた、字義通りの大作であった、そう述べることが出来るであろう。
 裸体と衣服との関係性と美的形成の問題について、人形の美学で知られる増渕宗一は「衣裳的形成」と「裸身的形成」との差異を指摘しつつ、それが人形と彫刻との大きな相違点であるとし、西洋における「濡れ衣」表現を、その対照を象徴する技法として挙げている(『人形と情念』)。刺青は時に、「肌に貼り付いた布」や「濡れた衣服」のように印象されることもあるが、しかしそれはここでいわれるところの「濡れ衣」とは、もとより複雑な相関を取り結ぶものと想定すべきであろう。彫刻と人形との差異、これを例えば西洋と日本の、彼我の相違と解したとして、近代転換期における造形上、また美的観念上の変遷を生き抜き、自らの理想を追い求めた平櫛にとってその相違とは、単純に図式化し得るものではなかった筈である。
 ところで、生涯現役を貫いた作家の生き様を伝える話として興味深いのは、平櫛は齢百歳の時に、その後三十年はゆうに制作が出来ようほどの大量の木材を購入していたことであろう。

 「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」

 この言葉を座右のものとした作家はまさしく、明治、大正、昭和という過渡を弛まず歩み続けた存在であり、その人生そのものが、日本美術の近代的格闘と看做しえる。
 果たさなければならぬ意志や目的があるならば、その「いつ」は、常に「いま」にこそなされなければならない。
 「生涯現役」とはいわば、その「いま」という感覚の持続であり、そしてその意味における「いま」の不断の「連続」こそが、時代峡間を踏破した作家の「精神性」ということになるのであろう。
 平櫛は昭和四十五年に上野桜木町から小平市へと転居し、約十年後の昭和五十四年、百七歳の冬、肺炎により永眠した。
 作家の愛した玉川上水の流れは、ありし日の風情を、今日なお伝えている。
(刺青研究)







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