書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆藤田直哉
「ディストピア化した現実」の次の一手のために――「事実」が曖昧になっていく状況を理解するための「モデル」としての『一九八四年』
No.3349 ・ 2018年04月28日




■現実が「ディストピア」化しているという声をよく聞く。
 たとえば、評論家の佐々木敦は、二〇一七年五月二四日にツイッターでこのように呟いた(一部誤記などを修正)。「加計学園問題は森友を超える展開になってきたけど、これでも飛ばないなら現政権は無敵だよね。でも飛ばないんだろうな。もはや不条理を通り越して非現実的な世界。ディストピアってとっくに実現してたんだな」。
 公文書が書き換えられる。記録が消える。あるはずの事実がないことになる。……森友学園問題や、南スーダンの日報問題などで、このようなニュースを日々耳にする。公的な文章の書き換えが罷り通ってしまうならば、「事実」も「過去」も「約束」も何もかも成立しなくなってしまう。このような状況は、ディストピア作品で描かれた内容を実現させたかのように思えるだろう。
 日本だけではない。二〇一七年、ドナルド・トランプ大統領の誕生の後、アメリカでは五〇年近く前のディストピア小説が売り上げを伸ばした。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』である。これは何故なのだろうか。
 本連載は、「ディストピア化した現実」という感覚を抱きやすくなってしまう事態それ自体を詳細に分析することで、現状を超えるためのヒントを探る試みである。分析の方法は、現実の政治・社会の状況と、「ディストピア」作品それ自体とを、照応させ、突き合わせ、相互に照射し、往還することになる。その反復横飛びを繰り返すことで「ディストピア化した現実」の内実を詳細かつ多角的に明らかにすることを目指す。
 分析の対象とする「ディストピア」作品は、古典作品だけに限らない。東日本大震災以降の日本文学では、特に純文学の領域で、ディストピアSFの形式を用いた作品が増大している。なぜ現代において、ディストピア作品が増えているのか。『一九八四年』『すばらしき新世界』『われら』などの古典的なディストピア作品と比較し、相互に照らし合わせながら、現代日本のディストピア小説が兆候として示している「現代」を析出することを試みよう。
 現実とフィクション、国内と国外、過去と現在との間を、繰り返し繰り返し飛び続け、視点を切り替え続けることによって、その視差から浮かび上がるものがあるはずである。その「浮かびあがったもの」の知見により、ぼくらが生きているこの世界を解釈する方法論を更新するというのが、本連載の基本的な進み方になるだろう。
 一回目は、現在の日本やアメリカの状況と類似点を感じない人は少なくないであろう、オーウェルの『一九八四年』を紹介する。
 ディストピア作品とは、ある架空の社会を描くことで、現状に対して批判的な認識を獲得させることを目的としたフィクションである。一九四九年に刊行され、スターリニズム批判の文脈で宣伝され、受容された『一九八四年』が、スターリニズムでも共産主義でもない、資本主義でかつ自由な社会であるはずの現在の日本やアメリカの寓意のように読めるということの皮肉の中に、重要な点がある。
 作品世界では、メディアは「党」に統制され、記録が変えられ、事実や過去も改変されていく。言葉は「ニュースピーク」に変えられ、「戦争は平和である」という論理を受け入れるような「二重思考」状態に人々の精神状態は変えられている。言語を操作することで、人々の意識を変えてしまい、批判的な精神を持てなくされているのだ。
 具体的な内容を引用しよう。
 「技術の進歩によって、ひとつの機器で受信と発信が同時にできるようになると、私的な生活といったものは終わりを告げることになった。全市民、少なくとも警戒するに足る市民は全員、一日二十四時間、警察の監視下に置くことができた」(高橋和久訳、ハヤカワepi文庫、p315‐316)
 「過去の出来事は客観的実体を持たず、書かれた記録と人間の記憶の中にのみ存続していると主張されている。記録と記憶が一致したものであれば何であれ、それが即ち過去である。そして党はあらゆる記録を完全に掌握しており、同様に当のメンバーの精神も完全に管理しているからには、過去は党が如何ようにも決められる」(p327)
 「二重思考とは、ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱き、その両方を受け入れる能力をいう。当の知識人メンバーは、自分の記憶をどちらの方向に改変しなければならないのかを知っている。従って、自分が現実を誤魔化していることもわかっている。しかし二重思考の行使によって、彼はまた、現時は侵されていないと自らを納得させるのである」(p328)
 「事実」がなかったことになったり、資料が消えたり捨てられたり、過去に言ったことと矛盾することを平然と言ったりする、現政権で起こっているおかしなことと良く似ている。「積極的平和主義」などと矛盾としか思えないような言葉遣いをしたり、原発での「事故」を「事象」と言い換えるセコい真似をしている現政権の有様とよく似ているように思われる。
 オックスフォード英和辞典は、二〇一六年の「世界の言葉」に「ポスト・トゥルース」を選んだ。「客観的な事実」が軽視され、感情的な訴えが影響を及ぼすようになっている社会の傾向を指した言葉である。それは、オルタナ右翼(アメリカのネット右翼)、フェイクニュースと結びついた概念で、「真実」「事実」が書き換えられたり、そもそも尊重されなくなっていく現在の政治的な危機を指し示す言葉だ。
 政府が行っているものであれ、インターネットで民間人が自主的に行っているものであれ、あるいはSNS世論操作によるものであれ、「真実」「事実」がかくも曖昧になっていくこの状況を理解するための「モデル」として、『一九八四年』を人々が必要とする必然性は明らかだろう。
 しかしもちろん、現状とは大きく異なるところもある。その差異から現在を照射する作業は、次回以降に行おう。
(文芸評論家)
――つづく







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約