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評者◆稲賀繁美
「歴史に学ぶ」傲慢さと「歴史を学ぶ」無力さとの落差について――『竹山道雄セレクション』(藤原書店)刊行記念シンポジウムより
No.3347 ・ 2018年04月14日




■米寿を越えたヘイドン・ホワイトの壮年期の大著『メタヒストリー』が和訳された。緑色のラッパーに包まれた原著やTropics of Discourseなどを刊行時に耽読していた老措大としては、40年近い自らの無為を恥じるとともに、奇妙な旧懐の情に耐えない。ノースロップ・フライの『批評の解剖』の手法に『動機の文法』のケネス・バークのレトリック論を組み合わせ、ヴィーコの『新しい学』の枠組みに乗せた歴史語りの類型論・歴史の詩学の提唱、といっては乱暴だろうか。だがそもそもこの著書が対象とするhistoryは漢語の「歴史」とはたして同一なのだろうか。中国語で定義された「歴史」の編纂事業とは、ひとつの王朝が、それによって倒された前の王朝の事績を正史へと確定する行為である。言い換えれば、易姓革命で権力を掌握した後継者の側が、自らの立場を正当化するべく、後知恵で過去を塗り替えて「改竄」する行為が「歴史」である。この点を弁えないと、韓中日の歴史解釈をめぐる論争は、不毛な空転を脱し得ない。もとより謝罪によって過去の罪状を拭うことなど、ここで定義した「歴史」の許すところではない。小倉紀蔵の恐るべき近著『朝鮮思想全史』も、この点に関する明察──日本の「歴史」観における楽観への指弾──が貫かれていて瞠目する。
 だがそれなら、歴史とは過去の悪人を名指して罪状を確定し、論告求刑するだけの営みなのだろうか。事実の確認については、たしかに歴史的認識は、研究が進むにつれてより正確になり、その意味では「進歩」すると言えるかもしれない。だが昨今のウィキペデア等を見ると、学術の世界では、根拠となる「エビデンス」を添えなければ、一切の発言が許容されない。不寛容な「史実」強迫がじわじわと広がっている。蓋然的解釈に夢を託す修辞は、歴史記述から放逐されようとしている。その一方で、いわゆるトランプ現象に代表されるような虚偽陳述の横行は、もはや歴史的な真実探求が社会的に破綻したことを物語っている。一方では極端な厳格実証主義の徹底、他方では事実無視の横行。はたしてこうした不毛な分極化の現状のもとで、楽観的に「歴史科学」の「進歩に学ぶ」などと語ることは許されるのか。
 煎じ詰めれば「歴史からは学べぬ、ということを学ぶのが歴史学だ」。これは秦郁彦氏の述懐である。秦氏はまた「いつか来た道シンドローム」にも警鐘を鳴らした。むしろ「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」。これはマーク・トゥェインの言葉だという。韻は過去を想起させつつ、旋律を同調させる。暗唱した歌声は現在を過去の幻影へと繋ぐ。「君知るやレモンの花咲く土地を」Kennst du das Land? Wo die Citronen bluhn…あるいはまた「あらゆる頂のうえに平穏あり」Uber allen Gipfeln ist Ruh’…ゲーテのこうした詩句は、旧制高校から昭和末年あたりまで、大学教養課程のドイツ
語教育の一環として暗唱され、世代を超えて伝播され擬かれた。だがそうした東方への夢や高貴な精神の発揚を謳う往年の伝統は、平成末年の今、すでに絶えようとしている。大正教養主義の残滓はOrientalism批判の彼方に霞む。
 社会が「いつか来た道」へと戻るのは、曾てその道を辿った世代の消滅と軌を一にするようだ。過去の忌まわしい反復かどうか、もはや判断がつかぬだけ、なおさら不安が昂ずる。加齢や老耄が、回帰と見紛う事態以外への知覚を摩耗させる。「永劫回帰」を説くニーチェの『ツアラツストラ』を戦時下に敢えて訳出した竹山(弘文堂書房、昭和18年刊)は、敗戦後には石川淳の『焼跡のイエス』を受け、間髪を入れず「焼跡の審問官」を綴った。彼はまた、極東軍事裁判に「ジキル氏」という文明の背後に潜む「ハイド氏」の実態をも透視した。占領下で出版された彼の『ビルマの竪琴』は、脱植民地主義時代には、もはや無益なる感傷に過ぎないのか。ナチズムを肌で知らぬ今の時代は、この「危険な思想家」の「時流に反した」歴史認識から将来への教訓を汲み取るだけの知的容量を、なお保持しているのだろうか。







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