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評者◆睡蓮みどり
ハネケの最高傑作なのではないか――ミヒャエル・ハネケ監督『ハッピーエンド』他
No.3342 ・ 2018年03月10日




■世間が平昌オリンピックで賑わっているなか、アメリカのフロリダ州で元在校生だった19歳の少年が銃を乱射し、多くの人が犠牲になった。被害にあった高校生たちが銃規制強化のためにデモをする一方で、その国の大統
領が、銃を持つ教師にはボーナスを支給したらどうかだなんて、面白くもないジョークなのかと思ったらそうではなく、大真面目な発言だったらしく唖然とさせられた。その国から日本の首相は武器を買おうとしていて、いよいよもう、わけがわからない。
 語弊を恐れずに言えば、私は昔から「田舎っぽい」ものが嫌いである。生まれた街には愛着があり、好きではあるのだが、地方=田舎だと決して言いたいわけではなく、他と比較してやたらと自分の周辺を持ち上げたり、自分の田舎はよいものだと疑いもしないことが田舎っぽさなのであって、田舎という場所自体は何も悪くない。オリンピックのときなど日本人が何個メダルをとったとか、頑張れ日本! という空気が、どうしても好きになれないのは、日本、日本、と騒ぐことがどうも気恥ずかしくなり、田舎っぽいと思ってしまうわけだ。なんだか居心地が悪い。今回にしたって選手たち一人ひとりは本当にすごいと思ったのはまぎれもない事実だが、それとこれとは全くもって別の話だ。だから同じようにアメリカファーストとかなんちゃらファーストというのも田舎っぽさの極みだと思っている。このご時世に、自国を思う誇りがないのか、と聞かれたら、正直に「ないです」と答えてしまい、一部の人の怒りを買うかもしれないが、私の誇りがあるとすれば、そんなところにはない。もっと別のところにある。
 さて、自分とごく一部の自分の周辺のことしか考えないことがいかに罪なことか、普段生きているとなかなか気づかないものだ。恋愛のことを言っているのではない。恋愛のときくらいは自分と自分の好きな人のことで頭がいっぱいになってしまうのは、これはもうどうしようもない。だけど自分と自分の周りの小さな世界にしか関心がないということは、恐ろしいことで、それも行き過ぎるとやがて自分にしか興味がなくなり、隣にいる誰かが実は頭から血を流していても、ゾンビと化していても気づきもしないなんてこともあるかもしれない。
 「不快な映画を作るときだ」と語るミヒャエル・ハネケ監督ならではの視点で、遠目に見れば幸福そうな家族の食事の風景が、実は互いに無関心で同じテーブルを囲んでいることにゾッとさせられる『ハッピーエンド』。この家族には始終奇妙な違和感が漂う。あえてそう言われなくても、これまでもずっとある意味で猛烈に「不快な映画」を作り続けてきた。タイトルが皮肉なのはあのハネケなのだから御察しの通りである。人間のいやぁな部分を描くエキスパートなのだから、それは嫌な気分になり、じくじくと続く。だから観て後味の悪さを感じるなんていうのはハネケの思う壺なわけだ。ハネケの映画作りのコンセプトや観客を怒らせようと挑んでくる感じは作り手として尊敬に値するが、観るとやっぱり嫌な気持ちになるので、どちらかというと、かなり苦手な作家だった。前作『愛、アムール』(2012年)では、突然病気になってしまった最愛の妻を自らの手で殺めてしまう老夫を描いた。『ハッピーエンド』では同じジャン=ルイ・トランティニャンが主演を務め、同じく娘役をイザベル・ユペールが演じる。同じ家族の話ではないが、『愛、アムール』のその後のストーリーでもある。裕福な家族の元に、老父の息子の前妻との間にできた娘が母親の入院をきっかけにやってくる。13歳のエヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)がもう一人の主人公だ。彼らは死と孤独、互いの秘密を通して、静かに心の内側に触れる。今回も決して後味がいいわけがなく、じわりじわりと責めてくるのだが、なんだろう、不快になるどころか、波に沈みゆく祖父とそれを見ている孫の姿が、ゆがんでしまったコミュニケーションの果てに妙に胸をざわつかせるのだ。最高傑作なんじゃないかな。
 後味が悪い映画といえば、ハネケの『ファニーゲーム』(1997年)を挙げる人も多いのではないかと思う。暴力と理不尽さを描き、これまでかというほど救いの全くないあの映画を一度でも観た人は忘れるはずがない。精神状態が悪いときに観たらさらに悪化するだろう。『ロブスター』(2015年)が奇妙な話題作となったヨルゴス・ランティモス監督の最新作『聖なる鹿殺し』(3月3日、新宿シネマカリテ他全国公開)を観たときに思い出したのは『ファニーゲーム』だった。悪魔のような少年マーティンが心臓外科医スティーブン(コリン・ファレル)の前に現れたことがきっかけで、その医師の家族が徐々に不幸になっていく。自身以外の家族、つまり妻か二人の子供のうち誰か一人を殺すことを決めなければその不幸は続くという、どうしようもなく理不尽なものだ。なぜ少年がそのように強いるのかは劇中に理由が明かされるので『ファニーゲーム』ほど理不尽ではないかもしれない。しかし助けを求める家族たちはそれぞれ自分だけは助かろうとして、あるいは一番優秀な人間が誰かを選ぼうとして、それぞれの人間の一番嫌な部分が炙り出されてしまう。できれば見たくないものを直視しなければならない。微かな諦めとともに、少年の情けのかけらもない冷酷な視線に耐えなければならないという生き地獄をスティーブンと共に味わうことになる。マーティンを演じたバリー・コーガンは本当に素晴らしかった。『少年は残酷な弓を射る』(2011年、リン・ラムジー監督)の少年と並ぶ邪悪さだ。最終的に自分だけ救われればいいという現代の悲劇を喜劇だと言ってのけるには遠く、後味の悪さが尾を引いて、冷たい目で「お前のことだ」と語りかけてくるような気がした。
(女優・文筆家)







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