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評者◆秋竜山
チクワを見るたび思い出す、の巻
No.3338 ・ 2018年02月10日




■医師に、「あなたの今たべたものが体内にはいっていません」と、いわれたら、あわてるしかないだろう。「それでは、いったいどこにはいってしまったのでしょうか」と、いうに決まっている。そして、「胃の中にはいっていないんですか?」「ハイ」「胃の中にはいっているということは体内にはいっているってことでしょう」。すると、医師は胃の中は体内ではなく体外です!! と、いった。「エッ!! わたしの胃は体内にあるのではないんですか」「ハイ」。わけのわからない会話である。
 福岡伸一『新版 動的平衡――生命はなぜそこに宿るのか』(小学館新書、本体八四〇円)で、
 〈消化管の内部は、一般的には「体内」と言われているが、生物学的には体内ではない。つまり体外である。人間の消化管は、口、食道、胃、小腸、大腸、肛門と連なって、身体の中を通っているが、空間的には外部と繋がっている。それはチクワの穴のようなもの、つまり身体の中心を突き抜ける中空の管である。〉(本書より)
 大変なことを知ってしまった。身体の中を通っている空間として、チクワの穴のようなもの、ということを脳にきざみ込まれてしまったからには、口から肛門にかけて風が吹き抜けているということにかわりないこととなってしまうではないか。つまり、体の中をそんな風が吹いているなんて。チクワを見るたびに思い出してしまうことになる。チクワを食べるたんびに、思い出すであろう。
 〈消化されていない食べ物は、胃の中にあっても、まだ「体外」にあるのと同じ。つまり、胃の中は「体外」なのである。〉(本書より)
 人間の身体はチクワの中空にすぎないから、医師はチクワを診察していることになるだろう。
 〈子宮もまったく同様に、それが身体の外部であるとわかる。子宮は皮膚の下部が陥入してできた袋である。その袋に、種が迷い込み、袋の奥深くに安置されていたもう一つの種と融合したとき受精卵ができる(略)いわばポケットのような場所なのである。(略)実は、人間の身体にあいている穴はすべて一種の袋小路であり、本当の内部ではない。耳の穴もそうだし、尿道もそうである。〉(本書より)
 袋小路であるということは、通りぬけることができないということだ。ひきかえすことである。赤ちゃんも穴ぐらで育つことになるのだ。
 〈「お腹に赤ちゃんがいる」と言うときの「お腹」も母親の体内ではない。消化管の内部も、子宮の内部も、実は身体にとっては外部なのである。〉(本書より)
 そういえば、穴ぐらや、押し入れの中で身を丸めていると、なんとも気持よいおちつきを感ずるものである。いつまでも、はいっていたい。いや、もぐっていたいというべきか。そしてそこから出たくない。
 〈人間は考える「管」である〉(本書より)
 と、いう。ミミズも考える管であろう。チクワだって考える管である。
 〈極言すれば、私たちは一度、かってダーウィンがそうしたように、ミミズのあり方をじっくりと観察したほうがいい、そしてもう少し謙虚になるべきなのだ。私たちは、たとえ進化の歴史が何億年経過しようとも、中空の管でしかないのだから。〉(本書より)
 これからは、チクワもミミズも違った眼で見るようになるかもしれない。







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