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評者◆秋竜山
そのボタンを押さないで、の巻
No.3336 ・ 2018年01月27日




■養老孟司『逆さメガネで覗いたニッポン』(PHP文庫、本体六四〇円)に〈ボタンを押せば、風呂が沸く〉と、いうコーナーがある。風呂を水から火によって湯にするという行為は原始人の発明によるものだろう。私の子供の頃(昭和二十年代後半)まで、そんな風呂にはいってきたのであった。どこの家庭にもあった据え風呂である。据え風呂というものは水を火で沸かす原始法であった。水を火によって熱くして湯とするということを、何億年も何も考えないでギモンにすら思わず行ってきたことには驚いてしまう。ボタンを押すことによって湯を沸かすのが一番便利であるという発想がなかったのだろう。考えにもおよばなかったことだろう。原始的発想からすると、火というものはボタンというよりも木と木をすりあわせることによって、まず煙が出るということであった。それを思うと、据え風呂というものは風呂の歴史において「いい湯だなァ!!」の一言で満足してしまうのであった。私の子供の頃、我が家にあった据え風呂は子供の役目ということで、毎日窯に火を燃やして湯沸かしをしていた。冬の時季は氷のような水を沸かして湯にするのに、三、四時間つきっきりで火の番をした。そんなことをしてまで、ヒトは風呂にはいらねばならなかったのだ。そういう時代を経験したものにとっては、ボタンを押すだけで風呂が沸くなど考えもおよばないことであった。
 〈戦後にひたすら都市化、経済発展をしてきて、それを進歩と称している。そうやって、五十年やってきたら、なにが起こったかといえば、たとえば子どもがいなくなってきた。それは、いわば公害問題です。しかしその社会の中にいる人たちは、べつにそれが悪いと思っていない。子供のほうだって、そういう教育を受けています。〉(本書より)
 据え風呂の進歩が遅れたのは、原始時代から湯を沸かすことにおいて火さえあればという考え以外に頭を使わなかったことにある。湯沸かしをするのに火ほど便利なものが他にないと思っていたからだろう。据え風呂の発展を遅らせたのは、そういうことではないかと私は思う。
 〈いまの若者にたき火をさせると面白い。まず薪を置く。それはいいのです。その上にたきつけ、さらには紙をのせて、火を付ける。これでは薪の上で紙が燃えるだけです。(略)手順を踏んでものごとをする。そういう作業をした経験がないことは、これで明らかです。なぜか。なにごともボタンを押せばいいからでしょう。〉(本書より)
 茶の間からいろりがなくなったのは、火というものを必要としなくなったからであろう。どこの家庭においてもお茶の間にあったいろりがなくなったことは、その家庭の中心部というものが消えてしまったことにあった。火が中心だった頃の家庭というものは、火を囲み、火というものが主役であった。今の家庭における主役はテレビだろう。つまり、テレビにクギづけにされるのも、画面に映し出される番組が面白いか面白くないかにかかわらず、単なる習慣でもある。たとえ面白くなくても、画面から眼をはなすわけにはいかない。それは、ちょうど、いろりの火を必要としなくなった時と同じ現象である。テレビがあきられた今、次なる家族の行為はてんでんバラバラのスマホのぞきかもしれない。







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