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評者◆中村隆之
追悼 ヤンボ・ウォロゲム――抵抗すらも取り上げられたときに私たちに残されるのは何か
暴力の義務
ヤンボ・ウォロゲム著、岡谷公二訳
No.3331 ・ 2017年12月16日




■あの作品が果たしてヤンボ・ウォロゲムの不幸の始まりだったのかどうかは私には分からない。分からないが、フランス語による多くの記事はたしかにそうした論調で書いてきたし、今後もそのように書き続けるだろう。栄光をつかんだのも束の間ウォロゲムは底なし穴に落ちていった、とか、ウォロゲムは結局のところ一発屋でありその作品も問題含みだった、等々。彼の名が想起されるたびに同じことが書かれてきた。呪われた、忌み嫌われた作家として。
 その問題作、『暴力の義務』がフランスで刊行されたのは1968年のことだった。この小説でウォロゲムはアフリカ出身の作家として初めてルノドー賞を受賞した。1940年にマリ(当時は仏領スーダン)のバンディアガラに生まれ、西洋的教育を受けてフランスに留学した、植民地出身のインテリであるウォロゲムが最初に書いた小説が『暴力の義務』だった。刊行当時、「これは、多分、その名に値するアフリカ最初の小説である」という賛辞があがったほど、フランス読書界からは熱烈に支持された。こうした評判に後押しされて岡谷公二が1970年にこの作品の日本語訳を出版している。
 ところが、その名声はたちどころに掻き消される。本作の英訳刊行をきっかけに、1972年、グレアム・グリーンの『ここは戦場だ』(仏訳1953)からの剽窃を指摘する声があがり、フランスでもアンドレ・シュヴァルツ=バルトの『最後の義人』(1959)との相似点が指摘されたりもした。グリーン側のエージェントが出版差し止めを要求するなど業界でほされたウォロゲムは、『暴力の義務』以降、数作を発表したのみで、作家生活を終えてマリに帰ることになる。
 それだけでない。この小説はアフリカの同胞からも痛烈な批判に晒される。
 舞台となるのは、サハラ以南の一帯を支配する架空の帝国ナケム。この帝国は代々サイフという称号で呼ばれる王族が統治してきたが、20世紀に差しかかるサイフ・ベン・イサク・エル・ヘイトの時代には、フランスの白人がナケムの領土を虎視眈々と狙うようになっている。物語は上述のサイフがおのれの領土を守るために張り巡らす権謀術数を一方の軸に、さらには彼の奴隷として働くカスミとタンビラという男女の家族とその子どもたちの行く末をもう一方の軸にして展開する。
 問題とされたのは、アフリカ人の描き方だ。ウォロゲムはナケム帝国を統治してきた歴代の王に対しては、残忍で非情な支配者として、民衆に対しては迷妄状態を生きるような存在として、痛烈な揶揄を込めて描いたのだった。歴代のサイフたちによる奴隷の売買、初夜権の行使、さらには慣習的に行われる女性器切除など、一言でいえば否定的なアフリカの断片がここには無数に見出せる。当時の文脈では、アフリカの独立に対するシニカルな見解を通り越してある種の冒涜のようにも受け取られたのだろう。サンゴール(当時のセネガル大統領)はウォロゲムの態度を「ひどすぎる」、「祖先を一人残らず否定して肯定的な作品など作れるわけがない」と酷評している。
 アフリカ出身の新たな世代の作家からはウォロゲム再評価の声もあがっているものの、本人は作家としての再起をついぞ果たすことなく本年10月14日にマリのセヴァレで他界した。追悼記事でも延々と繰り返される以上のウォロゲム物語を本人がどのように捉えていたのかは私には分からない。分からないが、本作を虚心に読み始めれば、この作品にまつわる毀誉褒貶などすぐに気にならなくなる。ある意味では小説世界のなかに引き込まれるからだが、そこで味わうのは、世の残酷を前にした、傍観者の屈辱感や無力感である。
 サイフが支配するこの小説世界のなかでは、あらゆる種類の暴力が執拗に繰り返される。「喉をかき切られた子どもたちの死体の群れから程遠からぬところに、皆の目の前で夫たちに犯され、断末魔の苦しみにあえぐ母親たちの姿とその大きく口をひらいた内臓から押し出された一七の胎児が見られた。そのあと夫たちは、恥にうちひしがれて身を殺めた」(岡谷訳、以下同)。こうした描写がこの世界を覆っているのであり、黒人にせよ白人にせよ、人々がなぶられ、凌辱され、ゴミのように殺され続けるのを読者は直視しなければならない。そうした関係性までをふくめての暴力の義務なのである。
 「分るか、分かるか、ニグロというのはゼロなんだ。ニグロの女は切り捨て御免だ。おれたちには力がない。権利がない。サイフがいる。国は証人をほとんど尊重しない。で、おれたちは売られるんだ、売られるんだよ。ああ、絶望だ!」
 遺作となったパゾリーニの映画『ソドムの市』(1976)をも連想させるウォロゲムの『暴力の義務』が問い直すのは、人間性とは何か、ということである。他者の人間性を真に破壊するのは、正気の人間、しかも、他者の抵抗を許さないほど圧倒的な力をもつ人間である。小説や映画のように、向こう側の世界だけの話であればよい。しかし、残念なことに私たちはサイフやファシスト権力者が支配する世界から隔絶した場所に生きているわけではない。抵抗すらも取り上げられたときに私たちに残されるのは何か。今からそのことを想像しておくためにも、『暴力の義務』を読まなくてはならない。
(フランス文学、カリブ海文学研究)







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