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評者◆秋竜山
間のない音、の巻
No.3331 ・ 2017年12月16日




■帽子が飛ぶ時は、必ず頭のてっぺんからであるし、で、あるからして外出時における。そして、風の存在を知る。風なくして帽子は飛ぶことはありえない。私は外出時には必ず帽子をかぶっているから、わかることだが帽子が飛ぶ時は、フワーッと頭からはなれる。「アッ!! 帽子が飛んだ」と、意識する。風と共に去りぬ、という飛び方である。そして、飛んでいく帽子を追いかける。その帽子に誰も手をかしてくれず、追いかける私と、宙に舞う帽子を人々は眺めているだけである。風というものは、帽子を飛ばすことによって己の存在を知らしめる。風を目でとらえることができる。
 本来、風そのものは目には見えないものである。音もそーである。音というものは目でとらえることはできない。耳によってである。耳で見るというより、感じとるものだ。目に見えない音が耳の穴を通過して、その奥のほうで音を感じとるのである。で、あるからして、「アッ!! 音が見えた」とは、いわず「音が聞こえた」と、表現する。
 吉田健一『わが人生処方』(中公文庫・本体八六〇円)に、〈騒音〉についてのエッセイがある。
 〈この我慢がならないといふものがどんな風にかで話が普通に考へられてゐるよりも複雑な、或は少なくとも騒音とさうでないものを区別するのがさう簡単でなくなる性格を帯びて来る。その昔まだ子供で始めて海岸の家に泊った時に波の音が夜通し耳に付いて眠れなかったことがあった。〉(本書より)
 私にしてみれば、波の音で眠れないということは考えられないことだ。波の音がなくて眠れないならわかる。波の音はうるさいのではなく心よい気がやすまるものである。私は波の音のそばで生まれ育ったからである。波の音が子守り唄のように赤ん坊の頃から耳の中へ入ってきたからだろう。「ザザザ……ザブーン」という音が四六時中そのリズムに変調をきたすことなく耳でとらえていると、そんな人間になってしまうものである。
 水の音ということで、川の流れる音はどうかというと、これが駄目である。私も、川のそばの旅館で泊まっていて、その流れの音は騒音以外のなにものでもなかった。そして一晩中眠りにつくことはできなかった。川の流れの音は、海の海岸の音と違って、「ザブーン」がない。つまり、間のない音ということになる。間のない音は、その音をいきなり耳にしても心のやすまることはない。
 昔なつかしい柱時計の音は止まることなく連続的なリズムで「コチコチコチ」と間がなく鳴るものだ。どこに間があるのだろうか。止まって間をつくるということはない。しかし、一時間とか三〇分おきに「ボーンボーン」と時間をしらせる音を出す。これが、間であるかないかは、どう判断すべきか、とらえかたによるだろう。そして、波の音も川の音もとめることはできないが、柱時計の音はとめることができる。音を消しさるということだ。昔、夜中に病弱の母が柱時計の音がうるさくて眠れないといってよくとめた。柱時計の音が急にとまるとシーンとした静けさとなる。時がとまるということはこのようなことなのか。だからといって母は眠れず寝がえりばかりうっていた。







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