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評者◆内堀弘
署名本の行方――中原中也と立原道造は自筆の献呈署名を第一詩集に入れて互いに贈った
No.3331 ・ 2017年12月16日




■某月某日。馴染みのお客様から宅急便で一箱の本が届いた。少しずつ蔵書を整理されていて、「あなたは、こういうところが好きでしょ」というあたりを送ってくださる。今回の箱には「故立原道造蔵書陳列会案内」という薄い冊子があった。
 昭和十四年、詩人立原道造は二十四歳で亡くなった。翌年、若い才能を惜しんだ先輩格の堀辰雄らが彼の全集を企画する。だが現在のように知名度はない。そこで立原の蔵書を販売して、それを刊行資金の一部にあてようとした。そのとき作られた蔵書販売目録がこれだ。今では複製も出ているが、オリジナルを見るのは初めてだった。風花のような一冊だ。
 蔵書の中に中原中也の『山羊の歌』署名入がある。「立原道造様 中原中也」と署名が入っていたのだろう。頒布価格は十五円。リスト中ではかなり高い方だ。
 昭和九年の暮れに中也は第一詩集『山羊の歌』を出す。二十七歳だった。このとき立原は二十歳。まだ東京帝大建築学科の一年生だ。帝大、病弱、軽井沢という草食系の立原に対し、年長の中也は不良で(いやダダっぽいのか)、どうしようもない屈折を抱えて生きた。タイプはずいぶん違う。それでも中也は、クレヨンで詩を書く若い学生の(あまり好きではなかったろうが)その詩才は正しく見抜いていた。昭和十二年、立原は第一詩集『萱草に寄す』を自費で出すと、それを中也に贈る。中也の九月の日記には「彼に立原の詩集及自分の詩集を送る」とある。彼とは由利耶書店の主で、中也は『山羊の歌』の再刊の相談をしていた。一緒に立原の詩集(『萱草に寄す』)を送ったというのは「(立原を)出せるんじゃない。ちょっと読んでみて」と、そこに好意も感じられる(その本に「中原中也様 立原道造」と署名があったのだろう)。二ヶ月後(十一月)、中也は急逝する。三十歳だった。立原は病をおして鎌倉の葬儀に参列した。そして二年後には彼もまた逝く。
 交差した僅かな間に、中也と道造は第一詩集を出し、「立原道造様」「中原中也様」と自筆の献呈署名を入れて互いに贈った。この二冊は、今もどこかに残っているのだろうか。
 夏のオークションに立原の詩集(大親友小場晴夫へ宛てた特製版)が出品された。戦後、行方がわからなかったものだ。本好きの方が終戦後の古書店でたまたま手に入れ、愛蔵していたらしい。その方もずいぶん昔に亡くなり、そのまま押し入れの奧にしまわれていた。今もどこかに、奇跡のような署名本が、奇跡のようにひっそりと眠ってはいないだろうか。







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