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評者◆睡蓮みどり
過去に生きていない男――アレハンドロ・ホドロフスキー監督『エンドレス・ポエトリー』
No.3329 ・ 2017年12月02日




■ここのところ、とある原稿を書いていてまた籠ってばかりの生活になってしまった。極端なので、毎日記憶がなくなるまで出歩いて飲むか、家に籠って誰とも喋らないかのどちらかだ。欲の方向が少し変わってきたなと思う。例えば昔はなんでも食べてみたかったし、いろんな洋服を着てみたかったし、知らない人と出会うのも楽しかった。籠っている時なんて、毎日同じ食事で構わないし、飲み物もコーヒーと水道水で生きていける。それに、とても人前でお見せできないような服装で過ごしている。正直、コンビニに行くのさえ億劫だ。
 ちょっと前の話になるが、『ブレードランナー2049』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、全国公開中)を観た。人に言ったら驚かれたが、実は古い方を観たことがなかったので、旧作を初めて観た。歌舞伎町辺りによく行く身としては非常に奇妙な気分になった。それから先日観た音楽家・坂本龍一のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto:CODA』(スティーブン・ノムラ・シブル監督、全国公開中)があまりに素晴らし過ぎて、それからはずっと坂本さんの音楽ばかり聴いている。それも同じ曲ばかりリピートして。彼は世界と深く深く繋がっている。world wideという意味ではない。いや、それさえもすっぽり内包してしまって、もっと未来に繋がっている。こういうことを、本当の希望と呼ぶのではないだろうか。
 さて、そんなインな生活をしている時に、驚くほど感覚を開かれる映画を観てしまって、かなり焦った。そして以前、身体改造している知人から聞いた話を思い出した。彼は性器の先を切り裂いているらしく、そうすることで触れる面積自体が広くなり、より多くの快楽を得られるのだと言っていた。実際に見たわけではないし、何よりまず「痛そうだ」という陳腐な感想しか思いつかなかったが、アレハンドロ・ホドロフスキーの新作『エンドレス・ポエトリー』を観ながら、そんなことを急に思い出したのだった。さらに彼の知人は、頭部の骨に穴を開けていた。つまり脳みそが部分的にむき出しだということだ。痛そう、とかを超えて身震いしか起きなかった。脳みそがむき出しなんて、絶対に嫌だ。想像するだけでぞわぞわする。しかし、その人がそうするのは、ダイレクトに脳みそが外界に触れることで、より多くの刺激を感じ、快楽を得るからだという。性器を切り裂くのと原理は一緒だ。そう言われると、少しは経験してみたい気もするが、小心者にはとても実行する勇気はない。
 これまでも刺激的な映画を撮り続けているホドロフスキーだが、新作の『エンドレス・ポエトリー』は実に五感を開かせる、覚醒力が非常に強い映画だった。実は、自身の少年時代を描いた前作『リアリティのダンス』を観た時に、私はなぜか彼がもう映画を撮らないような勝手な思い込みをして激しく泣いた。まるで彼自身の埋葬を見ているかのようだったのだ。しかし、今回彼はインタビューのなかで自伝的映画を五作品作る予定で、今回が二作目だと語っていた。もう撮らないのではないか、などという勝手な杞憂に思わず低い声で笑った。実は、自伝的な、と呼ばれる表現は昔からどうも信用ならないと思っていた。どうしてまあ、そんなふうにドラマチックに自分の過去を語ろうと思うのだろうかという反発心が芽生えてしまうのだ。しかしそれも、ホドロフスキーの映画を前にすれば、そんな言葉にとらわれる必要などどこにもないということにすぐに気づかされる。むしろ、彼の身に起こったこと、そして精神的な世界を、私なんかが観てしまっていいのだろうか、と思うほどに神々しく非常にありがたい心持ちになったのだった。しかも、彼自身も未来の自分として登場。かつての彼を、アレハンドロの末息子アダン・ホドロフスキーが演じ(音楽も担当)、アレハンドロの父親を長男のブロンティス・ホドロフスキーが演じた。衣装は彼の妻のパスカルが担当している。
 これまで、映画監督としてのホドロフスキーしか知らなかったが、ここに詩人として彼が才能を開花させてゆくまばゆい光を見る。何事にも厳しく、お金の計算ばかりし、将来は息子を医者にしたいと望んでいる父親と、詩の世界に傾倒していくアレハンドロ。芸術家たちと出会い、尊敬する詩人と出会い、過激で繊細な初恋をする。やがて詩人の友情が生まれ、彼は詩を体現することで世界と関わろうとするのである。彼の詩は単なる言葉の域を超え、行動、生きることに繋がっていく。こうしたアレハンドロ・ホドロフスキーのことを、彼以外に誰が描けるというのだろうか。これまで彼を映画監督だとばかり思い込んでいたことを私は深く反省する。彼は今、たまたま映画という手法を用いているだけなのであって、これが映画でなくとも構わない。映画を撮ろう、ではなく、あくまで映像として具現化したら映画になった、という方がしっくりくる。彼は本作でも監督だけでなく、プロデューサーも務めている。
 アレハンドロがパリ行きを決めた時、最後の瞬間にずっと確執のあった父親が現れ、息子は次のように言う。「何もくれないことですべてをくれた。愛さないことで愛の必要性を教えてくれた。無神論で人生の価値を教えてくれた」と。そして「父を認めるのだ」と未来のアレハンドロは言う。今年八八歳になる、彼の止むことなきパッションは自身の過去からだけでなく、どこか遠い未来からやってくるように思われる。彼は決して過去には生きていないのだ。劇映画を観て泣いたのは久しぶりかもしれない。
(女優・文筆家)







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