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評者◆秋竜山
思い出し笑いという孤独な笑い、の巻
No.3328 ・ 2017年11月25日




■世に、「思い出し笑い」と、いう実に孤独な「笑い」が、ある。突然、過去のことが脳裏にあらわれ、笑い出すという珍奇な笑いである。突然の笑いにまわりの者は驚くが、その笑いの内容がどういうものであるか絶対にわからない。だから、「オイ!! いいかげんに笑え」と、怒ったりしたくなるのである。以前に、無人島漫画の中で絶海の孤島の小さな無人島で一人の漂着して生活していた者が、突然に笑い出す。これとて、過去の出来事を思い出しての笑いである。ビックリするのは海から顔を出している魚ぐらいのものだ。「思い出し笑い」と、いうものをいろいろ考えてみると、禅僧が座禅の最中に、突如笑い出す。雑念とか無心とかの次元ではない。この場合、笑い出した禅僧をせめるべきかいなかは、笑いという本質をさぐりあてなくてはわからないだろう。孤独な笑いとしては、「一人者の放屁」というのがある。一人者が屁をひったところで、何の面白味もなく、笑えないということだ。江戸川柳にあるから、江戸時代の人も経験ズミのはずだ。そして、たしかに一人でいた時など、屁をひったところで、ちっとも笑えない、ということは私も実証ズミであるから自信を持っていえる。なぜ一人でありながら、笑えたり笑えなかったりするのか。それなりに考えてみて、わかったようなわからんような気もしてくる。それ以上追求するのもめんどうなことである。
 養老孟司・名越康文『「他人」の壁』(SB新書、本体八〇〇円)にある、養老孟司さんと名越康文さんの対談の中の名越さんの言葉の中に、
 〈――略、僕の母方の本家が町医者やっていまして、子どもの頃はよく、そこへお風呂を借りに行ったんですけど、(略)〉(本書より)
 と、いう部分があり、このようなことを私も経験しているので、時代も同じということか、妙になつかしく思ったのであった。これも〈思い出し〉である。〈昭和二十年代後半〉の日本の風景のヒトコマでもある。もらい湯というか、夕方になると、自分の家で風呂を焚かなかった時は、近所の家に風呂を借りにいったものであった。もちろん、うちの風呂へも近所の人たちが入りにきた。きっと、今の若い人たちには理解できないだろう。都会で、そんなことがあったかどうかはしらないが、田舎では近所同士フツウであった。当時は風呂桶の水風呂か、釜で蒔を燃やして風呂をたいた。私の家では、午後の三時頃から夕方の六時頃まで風呂釜を燃やしっぱなしで、やっと沸いたのであった。三時間、釜につきっきりであった。その日は私の家では風呂をたかなかった。そして、近所の親しい家の風呂を借りることになった。お年寄りの夫婦できれい好きであって、そんな家の風呂である。父と男の子三人であった。父は子供にむかって「よごすな!! よごすな」を連発した。案の定、アカだらけの湯の中になってしまった。その大変なアカとり作業が思い出になってしまった。私にとって唯一の「思い出し笑い」になる。他人が聞いても一人者の放屁みたいなものだろう。







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