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評者◆睡蓮みどり
暴風雨の夜に――黒沢清の「風」は、どこか別の世界から吹いてくる
世界最恐の映画監督 黒沢清の全貌
「文學界」編集部 編
No.3325 ・ 2017年11月04日




■「風」というものが「映画の神」であるという黒沢清監督の言葉を思い出しながら、大型台風の暴風雨の音を聞き、なかなか寝付けない夜を過ごした。微かな眠気と暗闇のなかで聞いていた轟音と、そこに入り混じってくるサイレンの音がまだこびりついている。
 名前を聞くだけで確実に新作を観たいと思わせてくれる監督は日本には数少ない。一番最初に観たのは確か『ニンゲン合格』(1999年)だったと思うが、そのあとも妙に気になり、気がついたら新作が作られるのを心待ちにしていた。個人的には『カリスマ』(1999年)が一番好きである。学生時代にも周りの映画好きたちの間で、やはり黒沢清人気がすごかったのは鮮烈に覚えている。黒沢清という監督は,いまの日本で何かしら映画の現場に携わっている若手にとって大きな意味をもたらす稀有な監督だと思う。
 日本映画のヒット要素としては、漫画や小説などの原作ものありきが大半で、そこに人気俳優を起用するというのが一般的である。もはや映画には〈映画的な何か〉は求められていないということだ。どこかテレビドラマの延長であることが、日本映画を観るということのハードルを確実に上げてしまっているように思う。それはいわゆる映画好きにとっての話で、映画好きが映画を観るとは限らないわけで、そうなってくると〈映画的な何か〉よりも〈ヒットする何か〉が重要になってくる。規模の差こそあれ、国内で年間600本以上も映画が制作されているこの国で、確実に黒沢清が他とは違う特別なポジションにいることは間違いない。海外のプロデューサーとタッグを組むことも稀ではなく、最近ではオールフランスロケで行われた『ダゲレオタイプの女』(2016年)を思い出す。
 さて、冒頭に書いた「風」の話は、『世界最恐の映画監督 黒沢清の全貌』(文藝春秋)のなかで作家の宮部みゆき氏と最新作『散歩する侵略者』について対談するなかで出てきた言葉である。「最高なのは、あるカット内で突然吹き出す風」で「狙っていないことがフィルムに定着させられる絶好のチャンス」だという言葉は、黒沢映画に一貫して潜んでいる歪みに繋がる。宮部氏の言葉でいえば「不穏な空気」である。なるほど、と思った。ホラー映画のイメージは確かに強い。しかし私はどの作品を観てもホラーだと思ったことはない。ある人間が、いつの間にかそれまでそうであった人間ではなくなっているという変容は、黒沢映画の核心にあった。どこかで瞬時に別人になってしまうのではなく、気がついたら別人のようになっている。ふとした瞬間にそのことに気づいてゾッとする。異界との境界線をふっと越えていってしまう。
 台風の暴風雨の音も、こんなに響くものかとそれは恐ろしかったわけだが、実体験のなかで最も恐ろしいと感じたのは、ある待合室で人を待っているときに、カーテンの一部だけがずっと揺れていたことだ。窓が開いているのかと思ったがそうではない。空調が当たっているというのでもなかった。どこから起きているのかわからないことが怖かった。風という予測不可能なものを目の当たりにすると、人は動揺する。映画のなかの風といえば爽やかな高原でも思い浮かべそうなものだが、黒沢清の「風」は、どこか別の世界から吹いてくる。
 『散歩する侵略者』では、ある日急に夫(松田龍平)から宇宙人になったと告げられた妻(長澤まさみ)の動揺と闘いが始まる。そこに、他の宇宙人を名乗る若者を取材することにしたジャーナリスト(長谷川博己)のエピソードが絡んでくる。宇宙人たちの侵略方法とは、人間から概念を奪うというものであった。演説にも無関心な通行人たちの空虚さがある一方で、愛の概念を知ることによって地球を守るという、何とも壮大なことが同じ世界のなかで起こる。同時に、愛を失うことで希望も絶望もない世界にかろうじて生きるという、何とも皮肉な結末を突きつけられる。
 もともと、劇団「イキウメ」の前川知大が書いた戯曲が本作の原作である。宇宙人侵略ものへのオマージュがふんだんに散りばめられ、いい意味での拍子抜け感にお気楽に観ていると、いつの間にかとんでもないところに連れていかれてしまう。これまでも、様々な角度から、家族の在り方が黒沢映画のなかでテーマの一つとされてきた。最愛の相手が、例え人間でなくなってしまっても愛し続けられるのかという究極的なテーマを、宇宙人や幽霊たちという別の世界の生き物たちを通して問いかけてくるのだ。
 『世界最恐の映画監督 黒沢清の全貌』は、「全貌」というだけあって、新作へのインタビューや対談だけでなく、昔の作品の評論やエッセイ、他にも女優イザベル・ユペールとの対談まで載っているという豪華さである。この本を通して、これまで漠然と抱いていた黒沢清像が浮かび上がってくることが非常に面白くもあると同時に、恐ろしさを感じさせるから不思議である。とても淡々としていてシャイな感じが「世界最恐の映画監督」からは想像できないが、そこが非常に魅力的な一冊となっている。
(女優・文筆業)







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