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評者◆秋竜山
私はウニになりたい、の巻
No.3325 ・ 2017年11月04日




■「私は貝になりたい」という一言は作品の内容はともかく、強烈な言葉の響きがある。作品はどうあれ、何かただごとではないような意味ありげのようでもあり、すぐ、おぼえてしまう。少年時代だった。貝になりたいとは、どーいうことか。わかったような、わからないよーな、映画のタイトルであった。そんなことを思い出しながら本書、本川達雄『ウニはすごい バッタもすごい――デザインの生物学』(中公新書、本体八四〇円)を読んだ。そして、「私はウニになりたい」と、思ったのである。
 〈まずウニ、海栗とも書く。とがった棘だらけの殻はまさに栗のいがそっくり。ただしウニの棘と栗の棘とでは少々異なる点もある。栗の棘は立ったまま。ところがウニの棘は、殻との間が関節になっていて動く。(略)一本の棘にさわると、その棘は突っ立って敵襲に備える(略)さわられた棘だけではない。まわりの棘も反応する。まわりのものは、さわられた棘の方向に倒れて、その付近の裏面を覆って守る〉(本書より)
 私は、ちょっとした感動をおぼえた。自分の身を全員の棘で守ろうという姿に心を打たれる。同じ棘でも、栗の棘は、そんなことしない。動こうとしないというより、はじめっから動けないのである。もし栗のイガが動いたら、どーいうことになるのだろうか。木にいっぱいなっている栗のイガが動いている。なんとも無気味である。私は、栗になりたいとはちっとも思わないが、ウニになりたいと思う。
 〈ウニの殻は、われわれの頭蓋骨そっくりである。似ている点は、①薄い骨製の「タイル」を敷き並べて球形の中身を覆って守ること、(略)〉(本書より)
 私がウニにあこがれるのは、
 〈棘皮動物には脳がない。だから脳死はない。心臓や血管系がなく、肺がなく、眼ももたない。ヒトの生死判定では、心臓の動き、肺の動き、対光反射(光を当てると瞳が縮む反射で、これには脳が関わっている)の三つの有無を確かめるが、これを棘皮動物に当てはめたら、すべてない。棘皮動物はそもそも生きていないことになる。〉(本書より)
 そもそも生きていないことになるのでありながら生きているのである。自分が生きているのか死んでいるのかの自覚がないのだ。このことをウニは、どのようにとらえているのだろうか。自分が生きているのか死んでいるのかもわからない。人間がボケると、それに近い状態になるのだろうか。自分は、いったい何者であるかもわからない。自分がウニであることもわからない。生まれた時から一度もウニだなどと思ったこともなく、考えたこともない。私がウニがいいなァ!! と、思えるのは、脳がないから脳死がない。心臓や血管がないから、心臓病で苦しむこともない。血管がないから血流が、どうのこうのと、まず冷症になやまされることもないだろう。血圧が上がったの下がったのと大さわぎして女房に叱られたりすることもなく、血をサラサラにする薬をのむこともなく、血圧計なんてものは必要なしだ。心臓のはげしいドキドキもない。息苦しいこともない。眼などというものをもたないから、度の強いメガネをかけることもない。そう考えていくと、私はウニになりたいと思うのが自然だろう。もちろん栗も棘を持っているが、栗になりたいなどと、思ってもみないのである(ウニ丼も栗ゴハンも大好物です)。







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