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評者◆秋竜山
「夫婦」と「夫婦」の大きな違い、の巻
No.3324 ・ 2017年10月28日




■よくある話かどーかはしらないが。あるヒトが、深夜、目があいてしまった。そして、隣に寝ている女房をまじまじと見つめるにいたったのであった。もちろん、女房は眠っている。だから、隣の蒲団の中で自分のことを亭主が何を思い考えているのかはしるよしもない。亭主は今だかって、自分の女房をこんな風にとらえたことはなかった。「この女は、まぎれもなく俺の女房である」。話はそれで終わってしまうが、なにやらわけのわからない話でもある。しかし、あらためて亭主が女房を、「この女は、まぎれもなく俺の女房である」と、再認識するということは、必要なことではなかろうか。
 夫婦という呼び方は今は普通であるが、昔は夫婦といった。夫婦善哉とか夫婦漫才とか。夫婦共稼ぎとか。今は夫婦とはよくいうが、夫婦とはいわない。なぜ、昔はいって、今はいわなくなり夫婦になってしまったのだろうか。やっぱり夫婦となると、古風であると同時に、なにやら意味ありげで、いやらしい感がしないでもない。夫婦仲といっても、あたり前のように聞こえるが、夫婦仲となると、なにかそこには、わけありの深い仲でありそうな気もしてくるが、私の考えすぎかもしれない。毎日、食卓に並ぶ夫婦茶碗というと、別にどーってことはないが、夫婦茶碗となると、うれし恥ずかしの世界になってしまうような気がする。新婚時代は誰にもあるものだが、それは極めて短いかもしれない。しかし、夫婦茶碗で食事をするということは、なにやらゴハンの味も違ってくる。それにくらべると、夫婦茶碗というものは実に平凡な器であり、一生物である。一生物ということは、飽きがこないということである。お前百までわしゃ九十九までの、おつきあいということになる。その日、その時によってゴハンもうまかったり、まずかったりする。
 ある日、自分の夫婦茶碗を新妻が割ってしまった。新妻は「申しわけありません」とシクゝ泣いた。「いいじゃないか、新しいのを買えば……」と、泣く新妻をなだめるように良人はやさしくいった。「あたしの茶碗だけ買っても、それでは夫婦茶碗にはならないわ」と、泣いていった。「それもそーだな」と、良人。そして、新しい二人の夫婦茶碗を買い求めて、そろえたのであった。それが、夫婦茶碗の本来の姿であって、夫婦茶碗となると、割ったのだけを買ってくればいいのである。夫婦茶碗と夫婦茶碗の大きな違いはそこにある。夫婦と夫婦の違いも同様だ。
 本田健『ユダヤ人大富豪の教え』(だいわ文庫、本体六四八)で、
 〈「夫婦は、運命共同体である。だから、その船の進む方向性は、どちらもが、百パーセント合意をしなければいけない。片方が、反対しているのを押し切ってはいけない」「世界には六〇億からの人間がいる。そのうちの一人をパートナーとして選んだのだ。相手がいるだけでも、奇跡的なことだ。その奇跡を日常的にお互いに確認し合えるかどうかが、パートナーシップの成功の鍵を握るだろう」〉(本書より)
 夫婦茶碗から夫婦茶碗にかわる時はどーいう時なんだろうか。二人とも知らない内にかわっていたということになるだろう。そして、お互いに気づかないで夫婦茶碗にかわっているということが理想的なんだろうか。そういえば、昔、「♪うちの女房にゃヒゲがある」なんて、流行歌があった。







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