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評者◆睡蓮みどり
なぜか善人になれない――ラヴ・ディアス監督『立ち去った女』
No.3323 ・ 2017年10月21日




■基本的に映画は90分以下が好きである。昔からそうだというわけではないのだが、年々そうなってきた。もちろん作品によって体感が違うので、正確に何分なら良いとか悪いとか計れるものでは決してないのだが、上映時間89分という文字を見るとなぜかとても心が躍る。79分でもいいし、69分だと流石に勝負をしかけている感がすごいのは、先日ゴダールがやってしまったのでそうそう超えられないだろうし、59分は短すぎて映画を観たというお得感がない。
 ラヴ・ディアス監督の作品は長い長いとは聞いていたものの、228分はやはり長い。200分を超えるものでは『風と共に去りぬ』(ヴィクター・フレミング監督、1939年)とか『ベン・ハー』(ウィリアム・ワイラー監督、1959年)とか、『旅芸人の記録』(テオ・アンゲロプロス監督、1975年)、それから復刻版の『ルートヴィヒ』(ルキノ・ヴィスコンティ監督、1972年)なんかも長い映画といえば思い出されるが、よりによってどれもがまぎれもない傑作である。最近だと濱口竜介監督の『ハッピーアワー』(2015年)の317分が思い浮かぶ。
 他の映画作家と長さで比較してもさして意味はないだろうが『立ち去った女』(原題‥Ang babaeng humayo)が長さだけを話題にするような、あるいは、10時間越えの映画を撮ってしまう監督にとっていかに本作が短いものであるかは、あくまで導入的話題であって、この作品の重要なところではないし、かといってインスタントが好まれるこの時代に、ポップコーンとコーラの似合わないこの映画が長さゆえに見過ごされてしまうのは、一度でもこの映画を目撃してしまった人間としては許し難いことなのである。実際、長さゆえに映画祭を除いては、日本の劇場でラヴ・ディアス作品にお目にかかれる機会はほとんどなかった。そんなこともあって、恥ずかしながら、名前や〈怪物的映画作家〉への興味はありつつも、私自身も彼の作品を観るのは初めてのことだった。どんな恐ろしい映画なのかと観るのもかなり緊張していた。最初に言っておくと「思ったよりも短く感じました」という感覚には一切陥らなかった。長さを感じさせないというのとは違う、時間感覚を狂わせてしまうと言った方が正しいように思う。これまでも、世界の映画祭で数多く受賞経験があり高く評価されてきたが、本作ではヴェネツィア国際映画祭にて最高賞に当たる金獅子賞を受賞している。
 今からちょうど20年前の1997年のフィリピンが『立ち去った女』の舞台となっている。冒頭のラジオからは、多発している誘拐事件を伝える放送が不安を煽る。1997年といえば、香港が返還され、マザーテレサが亡くなり、金正日が最高指導者となり、ダイアナ妃が亡くなった年だ。日本では聖子ちゃんが離婚して、安室ちゃんが結婚し、伊丹十三が飛び降りた。薄ぼんやりした記憶のなかで、この頃の私はショッピングセンターに併設された映画館で一人『もののけ姫』を観ていた。小学校では米良美一が歌うこの映画の主題歌を真似して歌うのが流行していた。そんな時代だった。
 私は画面を見つめながら、白黒で映し出された異国の地のなかに、いつの間にか色を探していた。もちろん色付いて見えるわけではないのだが、この白黒の画面の向こう側にある色を想像していたのである。暗闇よりも光が気になり、会話の裏にある車の音や虫たちの鳴き声に耳を奪われた。ワンシーン・ワンカットの長回しという、実験的な撮影方法が選ばれている。タガログ語で続いていく会話の響きに耳を澄ませながら、字幕を必死に追いかけながら、もしかしたら、ここに何かが映り込んでいるのではないかという恐ろしさと期待で胸が高鳴っていくのがわかった。
 身に覚えのない殺人の罪を着せられて、30年という長い時間を刑務所のなかで過ごすことを強いられていた主人公のホラシア(チャロ・サントス・コンシオ)は、同じく刑務所で過ごした親友のペトラの告白によってついに釈放の時を迎える。冤罪の裏には、親友と元恋人だった男ロドリゴ(マイケル・デ・メサ)によってはめられたことを知る。その親友は自殺し、家族もバラバラになり、絶望のさなかホラシアはロドリゴへの復讐の念を抱く。しかしこの物語は単なる復讐劇ではない。バロットというアヒルの卵を売る男や、物乞いをし謎の言葉を並べるマメンという女性、それからホランダ(ジョン・ロイド・クルズ)という、生まれは男性である女性と出会う。彼女は身も心も疲れ果てていた。彼らが、日々生きることさえ決して容易くない、社会的にも弱者であることは明確だ。ホラシア自身も決して彼らの彼岸にいるわけではないのだが、復讐心に燃えながらも、自身のことよりも目の前にいる人間を助けるような女性なのだった。一方で、ロドリゴはある日、神父に向かってこれまで自分が重ねてきた罪を告白したいと言い、「なぜか善人になれない」と放つ。私はこの言葉にいたく感動した。この言葉を体感するために長回しを見てきたような気さえする。ロドリゴはこの物語の一つの悪である。しかし、彼もまた生きるために悪の陰に身を置いているに過ぎない。善悪、弱さ、強さ、赦しを、目には見えない神を前にして、しかし彼女たちは新たな生きる場所へと「humayo(行く)」のである。
(女優・文筆家)







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