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評者◆秋竜山
ゴーギャンに聞かせてあげたい、の巻
No.3323 ・ 2017年10月21日




■丹羽宇一郎『死ぬほど読書』(幻冬舎新書、本体七八〇円)で、
 〈「『随想録』はいい本ですよ」、などとはいいません。その人が読みたい本であれば、漫画だって好色本だっていいと思います。〉(本書より)
 「重い本もいいが、軽い本もいいと思いますよ」と、聞こえてくるような。重い本で部屋の床がぬけてしまうのも気分がいいだろうと思うが、軽い本で床がぬけたとなると、もっといい気分になるだろう。若い時は重い本を読むべきだと思っていた。重い本で人間をつくり上げていく。そんな考えであったが、重い本のページをひらくと、とたんに眠くなってしまう。結局は、軽い本になってしまった。軽い本ばかり読んでいて今にいたるわけだ。重い本で重い人間についになれなかった。しかし、よく考えてみると、重い人間より軽い人間のほうが自分らしいような気がする。
 若い頃、漫画という軽いものは、重いものの上に成り立っているんだ。なんて、そんな思いもあったが、口ばっかりで気合いがたりなかったようであった。「どーも、米のメシを食べないと下ッ腹に力がはいらねえ」なんて、力仕事をやっていた頃は、おかわりをして底なしに米のメシを下っ腹へズーンとつめこみ、その重さに力がはいったような気もした。田舎ではそういう時代でもあった。今の時代には通用するわけがなかろう。
 「おもみ」があるから「かるみ」が生まれたかどうかはしらないが、俳聖芭蕉は、「おもい」の行きつく先は「かるみ」である。と、いうことを大発見した。「古池やかわず飛びこむ水の音」は、後世に残る一句であり、「かるみ」俳句の到達点ではなかろうか。それに続けとばかりに他の俳人たちは、古池を頭に浮かべたが、その「かるみ」を超えることはできなかった。私などは「かるみ」と聞くと、とっさに浮かぶのは昔、風呂あがりに、ふやけた足の裏を軽石でゴシゴシこすったことであった。それが私のレベルである。ゴーギャンは「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という大作をものにしたが、この答えは、コンピュータでもできないだろう。あまりにも、重すぎる。
 よく散歩していると「どちらへ」なんてあいさつをされることがある。「ハイ、あっちへ」でよいのだ。それを「私はどこへ行くのか」なんて考えこんでしまったらゴーギャンのように自殺にまで追いこまれてしまうだろう。だから「ハイ!! そこまで」と答えることにしている。
 昔、エンタツ・アチャコという二人の天才漫才師がいた。アチャコのほうであるが、たぶん芸名だろう。よく考えてみると、「アッチャ・コッチャ」で、「アチャコ」になったのではなかろうか。もし、そーだとしたら、これはすごい。「アッチャから来て、コッチャへ行く」。ゴーギャンに聞かせてあげたいくらいである。「ハイ!! アッチャから来まして、コッチャへ行きます」と、答えたとする。「どちらへ」と聞いたほうは、「バカにするな」と怒るかもしれない。「どちらへ、と聞かれたから、そう答えるしかないでしょう」と、返答し、ますます、ややこしい会話になってしまうだろう。そのアチャコの困った時の名ゼリフギャグが、「ホンマにもー、ムチャクチャでござりますがなー」であった。客はそれを笑った。







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