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評者◆杉本真維子
幽霊坂
No.3322 ・ 2017年10月14日




■少し前から通っている会社の近辺は寺院が密集していて、改めて地図を見ると、会社の敷地は墓に囲まれていた。さらに多くの人が駅までの近道として使っている坂は、幽霊坂という名だと知る。全国にこの名を持つ坂はいくつもあるだろうが、ここの柳町という地名が、どうしても「ゆうれい」との関係を思わせる。かつては柳の木が鬱蒼と生い茂り、昼間でも薄暗く、幽霊が出そうだったから、というのが坂の名の由来だそうだ。
 いまは見渡しても、印象に残るほどの柳の木はない。それでも、暗さは残っていて、飲食店が一軒しかないなど、都市の中心部なのに人間がしずかに脇役に徹している雰囲気がある。足元の土に息を吹きかければ、蓄積された時間が剥がれ、人も消え、かつての野っ原が現れそうだ。私たちは戸惑いながら、毎日あの店でランチですよ、全メニュー制覇ですよ、などと言う。そのとき、このあたりはなにか変だ、という心の奥の声をひそかに交わしている。
 日が暮れて、会社のエントランスから駐車場へ出たとき、いつも闇の濃さにおどろく。暗いというより闇がでんでんと凝り固まっている。皮膚にまとわりつくような重さがあり、手をぱたぱたさせて、闇を払う。そうすると、手の甲のあたりに、墨汁を薄めるように、白が入ってくる。白はひかりになって、なんとか自転車に鍵を差し込むことができる。
 凝り固まった闇は、ときどき、人が屈んでいる姿と見紛う。あっちにも、こっちにも、うずくまったような塊がある。電燈のない時代、人々はこういう強烈な闇を、日常的に見ていたのではないだろうか。これをゆうれいと呼んだのだとすれば、霊(ghost)は得体が知れず恐怖を覚えるが、ゆうれいはあまり怖くない。遠い先祖から脈々と受け継がれてきた闇はどこか馴染みがあり、受け入れるうつわが私にもあるということか。とはいえ、まったく平然としていられるほど、肝は据わっていない。
 変といえば、このあたりの鳩は、飛ばずに歩いている。歩く鳩はどこにでもいるが、車の通行が激しい国道の大久保通りの真ん中を歩いたり、横切ったりしている。なぜ歩くのだ? ここには、なにか鳩の判断を狂わせるものがあるにちがいない。
 そう思っていた矢先、轢かれている一羽の鳩を見た。大久保通りを新宿から飯田橋方面へと向かうとき、河田町から柳町へ入ったところから急な下り坂となり、牛込柳町交差点でもっとも低地へつく。自転車を漕いでいると、ぐおん、と巨大な遊具に乗ったように、窪みにおちて、そこから飯田橋方面へ向かって、一気に上り坂になる。
 ああ、そうか。飛ばない私にはわからなかったが、歩く鳩たちは、ここが深い窪地であることと関係している。水平に低空飛行をしていると、空を飛んでいるつもりが、気づくと着陸している、という事態が起こりえる。国道を飛んでいたときは命が危ない。胸をのけぞらせ、全力で上を目指して飛ばないと、正面からきた車と衝突する、あるいは、信号待ちしている車の後部へ激突してしまう。
 はやく飛びなよ。思わず鳩に注意する。鳩は、うんしょうんしょと軽いとはいえないステップを踏み、一旦停止し、左右を確認して、国道を渡っている。左見て、右見て、もう一度左を見ていた鳩もいた。注意深い、変な鳩。ふんっと鼻息を漏らして、もう一度勢いよく飛んでいく鳩。観察しているうちに、別に心配しなくてもいいという気持ちになった。
 鳩も私も、窪地の底に溜まった、闇の塊の一つなのかもしれない。誰かに幽霊とまちがえられながら、夜の墓地を歩く。寺の門前には数ヶ月間変わらず、同じ格言がライトアップされている――「これからが これまでを 決める」。時間が逆さに流れ、ぐるりと一筆書きにされた過去と、未来のあいだに、自分がいる、と思った。ひりひりと、これから、が出来ていく。







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