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評者◆内堀弘
蔵書の行方――何千箱の蔵書だろうと、世に残すべきものを発見する、そのフィルターとなるのが古本屋だ
No.3320 ・ 2017年09月23日




■某月某日。蔵書というのは、それが大袈裟なものでなくても、その人の人生を映してしまう。思い立って整理を決めても、やはり別れがたい。私も古本屋だから、そんな場面を見てきた。棚の本を二~三十本ほど縛ったあたりで「やはり今日はいいです。また連絡します」と申し訳なさそうに言われる。
 『【講演】桑原蔵書問題。古本屋はこう考える』(島元健作)は十頁ほどの小冊子だが読み応えがあった。島元さんは京都の古書店梁山泊の主。古典籍研究者の会に招かれて話したものだ。この春、フランス文学者で元京大教授の桑原武夫の蔵書約一万冊が、寄贈先の京都市の図書館で廃棄された、あの問題だ。そもそも寄贈されたのは没後の1988年。その後いろいろな経緯があってこの二十年間はダンボール四百箱に詰められたままだったという。最後の保管先となった市立図書館が廃棄に踏み切った。これを貴重な文化の喪失と歎く声もあるが、島元さんの舌鋒は鋭い。
 蔵書の内「いい本」は既に京大人文研が選別して抜いている。「誤解を怖れずあえて断言すると、それ(四百箱)はほとんど雑本です」(島元・以下同)。もちろんそれは書物を貶める言い方ではない。雑本雑書にこそ本の面白味は潜んでいる。読書家の蔵書とは概してそうしたもので「価値があるとすれば(個々の本ではなく)桑原さんの書斎でどんな本がどんな配列でならべられていたか」なのだ。それに尽きると私も思う。たしかに四百箱の中には献辞や書き込みなど興味深い足跡はあったかもしれない。でも二十年間その整理ができなかった。膨大な量が公共空間を塞いでいたのだ。廃棄処分になってからそれを非難するのは「身銭を切ることもせず倫理を弄んでいるだけ」と厳しい。島元さんが並べて紹介したのは丸山眞男の蔵書の例だ。これが東京女子大に寄贈された際、その著作権も大学に譲渡されたという。維持費等のコストはここから捻出される。
 人は本に特別な感情を持つ。大学や図書館に寄贈することが善で、蔵書を古本屋に売るのは残念だという感情は、何を安心させるのか。人生や思い出に値を付けることはできないが、何千箱の蔵書だろうと、世に残すべきものを発見する、そのフィルターとなるのが古本屋だ。島元さんの講演には、身銭を切ってその眼を養ってきた職人の、意地と矜持がある。







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