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評者◆睡蓮みどり
舌足らずなあなたの言葉が聞きたい――クリス・クラウス監督『ブルーム・オブ・イエスタディ』
No.3319 ・ 2017年09月16日




■誰かの失言にあんまり躍起になっても、ねえ、とよく思う。どうせまた言い方を変えて出てくるだけなのだから、と書いてしまうとあまりに他人事みたいに思われてしまうかもしれないが、それよりもその根底に本当はどんな発想、思想があるのか、ということが表面上の言葉に消されていないか、という疑問のほうがよっぽど大きい。相手の一部分にばかり目を向けるのは思うつぼだ。急に躍起になる前に日々の発言に意識していれば、似たようなことを繰り返しているわけだし。これだけ発言権を誰もが持っていて発信できる時代になったようなのに、大統領とか政治家とかどこかの医院長とかのほうがよっぽどSNSなんかも使いこなして、それもすぐにニュースになって嫌でも耳に、目に入ってくる。我ながらこの「嫌でも」というのが結構問題だと思う。つまり私みたいなある意味ヘタレはわーわー言われるとすぐ嫌になってしまうけど、向こうはそんなことを感じない。だから平気でこりもせずに何度も「失言」するという、この繰り返し。何を言われても議論じゃなくて謝罪のふりか正当化。パフォーマンスをするだけで他人の意見なんかに耳を傾けない。柔軟さがないことを信念だっていうなら、その自己を信じる力だけは本当に凄いと思う。そもそも彼らは本気で「ナチスを見習え」とか言っているのだ。問題なのは〈本気〉だということのほうなのだ。彼らは国をどう維持するか〈本気〉なだけであって、その論理からだけ言うと、国民なんて機械になってもらったほうがいいのは当然。いくら「我々は機械じゃない」と床屋総統になったチャップリンの演説に感動しても耳に入ってこないのだろう。『独裁者』を一度でも観たことがあるんだろうか。
 『帰ってきたヒトラー』で感じた、信じて疑わない者の目の死んだ輝きと、信念ゆえに天才的な演説を〈機械のように〉喋る独裁者。映画のなかでは現代に現れたヒトラーの物まね芸人だと思って大ウケするわけだけど、だんだんカリスマ性に熱狂していく感じがすごく恐ろしい。正体に気づかないままカリスマ性だけに煽られていく国民たちと、本当の正体に気づいてしまった者の無惨な末路がこの映画には辛辣に描かれていて、確かにこの映画自体がすごくよく出来ていて面白いのだけど、気づいたら熱狂している観客としての自分もいて、さらに恐ろしくなるという構造が浮かび上がってくる。熱狂することはすごく楽だし、楽しい。個人的にはあまり何にも熱狂しないほうではあるが、それでも例えば自分が野球を観に行く時とか、好きなアーティストのライブに行った時に時々感じる。熱狂することが悪いことなんて言いたいわけじゃなくて、その性質をもっていることの自覚と、内容見ずの無自覚さを自覚したほうがいいということ。
 自覚するというのは自分が何者であるかってことに立ち戻ることでもあると思う。『ブルーム・オブ・イエスタディ』(クリス・クラウス監督)では第二次世界大戦におけるナチ党にいた祖父を持つ〈加害者〉の男性トト(ラース・アイディンガー)とホロコーストで祖母を殺された〈被害者〉の女性ザジ(アデル・エネル)の物語が描かれている。お互いにホロコーストの研究者で、真逆の経験を持つふたりが次第に惹かれ合う。『戦場のピアニスト』『ライフ・イズ・ビューティフル』等々、ナチスのしたことに苦しみ生き抜く個人の物語も、ヒトラー側の視点から描かれた物語も今まで多くの映画の題材にされてきた。いわゆる加害者と被害者が、それぞれの傷を抱えつつも共存する姿は新しく映し出される。トトが「後ろを見る仕事だ」というのに対して、前向きに生きられるというザジの言葉はやはり時間の経過とともに、今生きていることを実感させてくれる血の通った言葉だ。これはまさに自分の世代が直面している新しい戦争映画だと思う。ジャンル分けが好きではないと今まで散々言いながら、敢えてこの映画を戦争映画だと言いたい。戦争を経験してきた私の祖父母の世代も高齢化してきている。殺し合い、憎しみ合ってきた現実。そして愛し合ってきた現実。なぜザジが時に自分を傷つけたり、パニックに陥らなければならないのか。なぜトトはまるで幸せになってはいけないとでも自分に言いきかせるように研究に没頭するのか。それでもなぜ幸せになりたいのか、なぜひとを愛したいと願うのか。
 この映画はとても舌足らずだ。この映画のキャラクターの破壊力によって、現実の苛酷さを一瞬忘れ、そしてまた立ち戻る。口べただが熱意に圧倒される。雄弁で厚かましい人間たちに彼らの言葉が聞こえるだろうか。思考停止したその信念を前に、他者の言葉に耳を傾ける繊細さはちゃんと持ち合わせているだろうか。政治家でも医者でもないあなた自身は何者であるかという自覚はあるだろうか。アラン・レネが描いたドキュメンタリー映画『夜と霧』にはホロコーストの残虐な事実が映し出される。三二分と短いながらも、これが現実だったのかと目を疑う。そう、いつでも「希望が回復したふり」をしてはならない。
(女優)







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