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評者◆秋竜山
デコボコとアート、の巻
No.3317 ・ 2017年09月02日




■布施英利『わかりたい!現代アート』(光文社知恵の森文庫、本体七〇〇円)で「凸凹」のことにふれている。本書とは関係ないが、これを何と読むか。私は子供の頃から「デコボコ」と、読んでいた。まず、おぼえたのが、映画やマンガからであった。形からして、デコボコである。「凸凹コンビ」とか、「デコボコ兄弟」とか。「凸凹時代劇」とか、いっぱいあった。凸凹とつくと、お笑いであった。凸凹とみただけで笑えてきた。なぜ、凸凹とかデコボコが笑えてくるのか、凸凹をユーモア小説とか、喜劇映画にはじめて使った人はすごい。凸凹を笑いにしたことが発見である。そして昔は大いに流行したものであったが、近年はあまり使われていないように思う。今の時代では古さを感じさせるのだろうか。昔とまったく同じように、お笑いでは「ドタバタ」があいかわらず笑わせる。ドタバタが面白く受け入れられるのだったら凸凹も同様だろうけど。
 〈ある二人の彫刻家に話を聞いたことがあります。一人は木彫、つまりカービングの、もう一人はテラコッタ、つまりモデリングの作家でした。例えば顔を造形するとき、モデルの顔のどこを見るか? 木彫作家は、顔の凹凸でいちばん飛び出しているところを見るというのです。頬の頂点、おでこの頂点、そしてもちろん鼻の頂点、そういう凹凸の「凸」の点を繋いでいって、顔の形を把握し、それから彫っていくというのです。テラコッタの塑像家は、逆のことを言いました。自分は顔の凹凸で「凹」の点を探す。そこを把握して、それから粘土を付けながら顔を造形していくと。確かに木彫や石彫では、いちど彫ってしまえば、元に戻せません。(略)モデリングの彫刻家が逆に凹点を意識するというのも、同じ理屈です。〉(本書より)
 昔、気のあったマンガ家仲間で、テラコッタの塑像家を先生に粘土をいじったことがあった。塑像などめずらしく、毎日紙の上にペンでマンガばかり描いている作業であるから、発見のしどうしであり、その楽しさを目的にしたものであった。モデルの女性を前にしてやる作業に、これ以上の楽しいことはない、塑像家は、こんなことを毎日やっているんだから、うらやましい限りだといいながら作品?づくりをした。そして、人間の創造は神によってであるが、神のみぞ知る楽しさであったろう。人物大の手のひらにのるくらいの大きさに人間の形をつくることが、なぜ、このように楽しいものなのか、やってみて味わう楽しさだろう。
 〈モンドリアンの絵に代表される「モダン」のアートの特徴は、「引き算の美学」だとお考えください。逆に、本書の後半で取り上げる「ポップ」のアートは「足し算の美学」ということになります。〉(本書より)
 私は粘土のかたまりを目の前に置き、モデルをみながらモデルにあわせて粘土をけずっていったのであった。気のむくままの手法であった。塑像家の先生が、「引き算ですね」と、いった。考えてみると、粘土などをつみかさねていって、塑像家が人物像などを完成させるのを見る。つまり、足し算である。「私はマンガを引き算の省略によって描いていますので……」なんて、馬鹿なことをいってしまった。それはそーと、塑像は凸凹塑像と、よぶべきか?







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