|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
評者◆秋竜山
ヒトの馬鹿さかげん、の巻
No.3315 ・ 2017年08月12日
■歌舞伎の名セリフに「キジも鳴かずばうたれまいに」と、いうのがあるが。庭の土がポッコリ盛り上がっている。「モグラも土を突き上げねば叩かれまいに」と、いうことになるだろう。海面に飛びはねない限り、魚のいるのもわからない。そして、モグラも地面の中のどこにいるのか姿形はわからない。ミミズだって、そーだといえばたしかに。
川田順造『〈運ぶヒト〉の人類学』(本体七二〇円、岩波新書)に、モグラについて書かれてあった。いきなりモグラが活字になって姿をあらわすのは、土の中から青空の下へ姿をあらわすのに似ている。そこではじめてモグラと認識するのが面白い。 〈ここで、猿人にいたるまでのヒトの進化のあとを、「地下生活者」原モグラにまでさかのぼって、簡単にふり返ってみよう。大爬虫類が荒れまわったジュラ紀(二億年前~一億四〇〇〇万年前)には、地下生活でその難をしのいでいた「原モグラ」は、大爬虫類の絶滅後、地上に出てはみたものの、今度は同様に地下から出て地上生活をはじめた、繁殖力旺盛で攻撃的なネズミの類の、猛威にさらされることになった。原モグラの一部はまた地下生活に戻って今のモグラの祖先になった。原モグラの別の類は、前足の鉤爪を使い、木に登ってネズミの難を避けた。その子孫が、霊長類となり、やがてヒトになったといわれる。〉(本書より) つまり、原モグラなどはヒトとなったというわけか。と、すると、ヒトより原モグラのほうが古いというわけだ。これはモグラのほうが生物としてヒトより先輩であるということか。それを知ると、これからはモグラに頭があがらないというわけだ。それもさることながら、我々の先祖がモグラであったとは驚きである。地面の上に姿をあらわしたモグラにお会いするのもむずかしいが、そんなチャンスがあったら、しみじみとながめたいと思う。 〈地下生活では、視覚や聴覚より嗅覚が、生きる頼りになる。私たちは普段は大幅に視覚と聴覚に頼って暮らしているが、少し古くなった食べ物が、まだ食べられるか知りたいとき、反射的に匂いを嗅ぐ、そんなとき私は、大昔、原モグラだったころの記憶が甦ったような気がして、可笑しくなる。〉(本書より) これからは、著者の川田さまにならって私も笑いだしてしまうだろう。よく考えてみると人類の本来の姿は、地下生活者ではないだろうか。その地下生活者に人類はもどろうとしているのではないだろうか。核シェルターがそうである。地上で生活したくてもできない時代がやってくるような気がする。一発でも核兵器がつかわれたら、人類が地下生活者になる時だ。モグラの仲間入りである。いや、モグラに、一緒にしないでくれと叱られるだろう。人類はジュラ紀にもどって地下生活者となる。もう地上生活者にはなれないだろうから、地下生活者としての生きかたも考えねばならないだろう。そして、ヒトの姿形が段々とモグラのようになっていく。アリなどは、そういうことを見こして、昔からアリであったのだろうか。それにしても、ヒトの馬鹿さかげんはどうにもならないだろう。地下核実験などやられたら、どーしましょう。 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
取扱い書店| 企業概要| プライバシーポリシー| 利用規約 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||