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評者◆谷岡雅樹
世界中の詩織とともに~空襲で焼き尽くされた街に水を撒く作業であっても――ヴァンサン・ペレーズ監督『ヒトラーへの285枚の葉書』
No.3311 ・ 2017年07月15日




■バカには「見えない」映画がある。バカは、目の前を素通りしてもその人間にも事象にも気付かない。目を合わせて握手してさえその人間と出会えない。対峙していないのだ。音声や文字を交わしても、対話が出来ない。しかしそんな奴でも、その国や共同体や現場を動かしている例はいくらでもある。だから世界はこんな調子なのだ。暴力の、戦争の、悪の張本人と言っても過言ではない。たかが映画、たかが人間、たかが心、出会えばよいだけではないか。だがバカをやめない限り無理なのだ。出会えない。
 ザ・モッズに『ナパーム・ロック』という歌がある。ナパーム・ロック。落とせこの街、落とせこの国と歌う。当たり前だが“地獄の炎”ナパーム弾のことではもちろんない。爆弾ではなくロックだ。しかし読み違えるのか敢えての曲解か“良くない歌”だと指摘する人がいる。改めて言うが、ナパーム弾では解決しないのだと逆の訴えの歌だ。隣の国の泣き言を聞こうとしない爆弾ではなく、聞こうとし、対話しようとするロックを落とせと言っている。聴こえない人には聴こえない。
 今回はバカには絶対に見えない映画を紹介する。彼らには、はっきりとこう言いたい。
 「観るな」
 ところで日本で今、時代を反映しているのは映画ではなくテレビドラマだ。
 二〇一七年四~六月期には、警察・刑事物、警備物、探偵物、事件物、刑務所物のシーズンドラマが実に一二も登場した、おそらくこれまでの刑事物ブームのピークを超える数だ。しかも、視聴率はいきなり上位四つを刑事物が独占した。順に「緊急取調室2」「警視庁・捜査一課長2」「CRISIS 公安機動捜査隊特捜班」「小さな巨人」。このうち三,四位の二つは完全に国家を、国を司る人間たちを、真正面から批判し、おちょくり、挑戦的だ。
 トップを走る「緊急取調室」は、天海祐希演じる女性取調官が主人公で、井上由美子が脚本だ。二〇一四年のシーズン1から好調で、二〇一五年のスペシャルドラマでは自己最高視聴率を記録し、二〇一七年の今クールでは、初回にさらにそれを上回り、今期最高のまま終了した。犯罪者と対決して自白を引き出し「勝った」つもりが、「どんなに頑張っても這い上がれない人間の絶望なんてわからないから話したのよ」と言われる。あくまで「国家の側」から犯罪者を糾弾するが、孤独に陥る主人公。そして今、大ヒット中の映画『昼顔』もまた、テレビドラマの映画化で、脚本は同じ井上由美子だ。監督の西谷弘と共にテレビからそのままの登場となった。西谷弘は何本もテレビドラマの映画化をしているけれど、初めてのホームランと言える。テレビではあれほどの傑作であったのに、映画化されると、とてつもない駄作となる例には枚挙にいとまがない。『ルーキーズ』も『チームバチスタ』も『鈴木先生』も、テレビでの興奮そのままに思いきり期待して観に行ったら唖然とさせられた。仕掛けやキャストを二時間分に水増ししたり、スペシャル版の作りで海外ロケやそれまで登場しなかった大物ゲストを大スクリーンに登場させることで、「これまでの型」から外れ、却って粗が見えたり、ほとんど失敗してきた。だが『昼顔』は、絶対的な時代の怨念と血を作者たちはたぎらせたと言える。
 テレビドラマの体裁とは打って変わって、三角関係に絞るのだが、別れようとしない妻の不気味な根拠が、決定的に、束縛する側の論理で自信に満ち、かつ狂気に満ちている。七〇年代から八三年までの日本映画には必ずやあった国家暴力の影。しょせんは醜い肉の塊のくせに、日本的階級や門閥で縛りつける。いつまでも閉じ込めておこうとする側、束縛する能力とブランドを持っていると思いこむ側、時代や地域の後ろ盾で洗脳する弱いゆえの強がった連中。上司のパワハラや夫のDV等も同じ構造だ。『青春の殺人者』『一九歳の地図』『帰らざる日々』『太陽を盗んだ男』『泥の河』『海潮音』『遠雷』。いずれも自由への飛翔だった。これを、上っ面の空気だけではなく、暴力的恐怖としてしっかりと蘇らせたのが『昼顔』だ。国家の影だなんて、単なる谷岡の深読みだと言うだろう。持たざる者の狂気ならば、それは多いに観るべき価値はある。しかしそうじゃないんだ。
 NHK「ハートネットTV」で、家族に精神病院へ強引に措置入院させられた患者の証言を聴いた。気が付いたら四肢と腰を縛り付けられていた。「一言で言って怖いです。医者の言だけを根拠にして、社会が認めることになっているので、医者がおかしいと言ったら、おかしいとなるわけで、もし人間否定とか人格破壊が目的だったとしたら、ある意味でそれは成功していますね」。
 「小さな巨人」は、日本株式会社が伝統的に、軍隊の悪弊を引き継いできた内部の腐敗を、警察独特の暴力的権力でこれでもかと見せつける。「CRISIS」は、さらに批判的だ。国家にとっての悪は悪なのだという基本線がもはや守られていない。犯行を企てた二人の少年は、目の前で平気で自爆し、逮捕することができない。また爆弾を身体に巻き付けられた人質を目の前で助けることができず、諦めて去る警官たち。見殺しにされたまま人質は爆死する。刑務所物の「女囚セブン」は終始国家批判を繰り返し、「罪は犯す者が悪いのではなく、犯させる人間が悪いのだ」という理屈を一貫して主張し、最後にはそんな権力者を選んだ国民も悪いと展開する。元々は映画でしか出来なかった題材の『女囚さそり』である。あの映画で、日の丸を引きちぎって登場した梶芽衣子が、今やテレビ画面に平気で登場し、さそり後継者をフォローしている。緊急事態なのだ。
 国や、公務員や、権力と結びついている組織やその人間、或いは会社内の上司や、もっと言うと身近に存在するスパイのような友人知人にも気を付けろと警告を発す。
 樺美智子命日の六月一五日にいわゆる“共謀罪”法案が可決された。軍国への道や自由な人間の排除というよりも、パワハラ、レイプ、DV、恫喝のもとの法案だ。映画監督の松江哲明は〈怖くてしょうがない時は怒るのも自然なことだ〉とツイートしていた。
 恫喝によって乱された心は、恐怖で萎縮し、世の中への貢献はもちろん、世の中での役割や仕事を、それを出来る者も出来なくさせる。私のように出来ない者など推して知るべし。ミスや事故、もしくは発狂のもとになりかねない。世の中から退場させられ、しかし無能のレッテルのもと、世の隅の最悪の場所に居座らされもするのである。悪循環を引き起こし、不運が積み重なり、死へ一直線の負のスパイラル。その共同体の因習引力から外れた無限ループとなるのだ。宇宙に放り出されるのならまだましだ。しかし日本の会社社会、村社会では今なおそれを許さない。サラリーマンも作家もいずれも追いつめられる。
 そんななかで、詩織さんというローザ・ルクセンブルクともジャンヌ・ダルクとも言いたくなるような麗人が登場した。世界中の詩織よ。私もその一人だ。立ち上がろう。と、ここまで字数を書き過ぎた。バカには見えない映画の話だ。
『ヒトラーへの285枚の葉書』という。原題が「アローン・イン・ベルリン」。ベルリンにひとり。もうこのタイトルだけで充分だろう。主人公とその妻は、平凡な労働者階級の夫婦で、質素な暮らしを営んでいる。だが我が子が戦死する。最初は小さな憂さ晴らしだったろう。プチ腹いせ。「総統の息子もいずれ死ぬだろう」と書いた葉書を、そっと階段の途中に置く。小さな魔物が心中で育っていく。作戦開始だ。まず葉書をあちこちで買い始める。アジビラとなるその葉書を、圧政下、密告者スパイ天国の中で、こっそりと、しっかりと、冷たく怒りを放ち続ける。それぞれの葉書には、様々な言葉が書かれている。
 「自分を信じろ。ヒトラーを信じるな」「ドイツ国民よ、目覚めよ」「自由な報道を広めよう」「このカードを次に回せ」「この政権で幸せはない」「ヒトラーでは暴力が正義に勝る」「戦争マシンを止めろ」「ナチに反対する者は、戦争マシンの砂に成れ」
 私に出来ることは「葉書とペン」だと言い放つ。しかも命のやりとりでの取引を持ちかけられた時に発する言葉だ。二八五枚のうち一八枚は、取り締まりの連中の網から漏れた。漏れる限り、拡散して、広がって、いつか誰にも止められなくなるだろう。体制が嫌がることをやれば道は開ける。もう一本。八月公開『ハイドリヒを撃て!』。おそらくチェコ史上、いや世界の映画史上に燦然と輝く大傑作だ。これも絶対に観てほしい。
 国会議事堂の前を、私は週に何回か通る。デモじゃない日にも毎日、いろいろなアジビラ活動、少人数のシュプレヒコールなどが、結構顔を覚えてしまうほどに、ここ何年も時を過ごし、かつ疲弊している。皆、もうかなりの高齢だ。アイヌのエカシのように、たくましくなっていく顔が多い。同窓会で人が消えていくように、倒れ、脱落し、参加できなくなっていく者もいるだろう。
 『キネマ旬報』六月下旬号で、共謀罪を取り上げ、かつ以下の表明をしている。
 〈映画は表現活動だ。(中略)自由な表現を奪われないためにも、『キネマ旬報』は先達の心意気を継いで、表現者をこれからも応援していく。表現者は、萎縮することなく堂々と表現することで、それを抑圧しようとする者たちと闘ってほしい。〉
 これを読んでガッカリした。何だよ。お前は表現者でなくて、応援者かよ。映画評論は、映画と違って表現活動ではないのかよ。自らが表現者として「闘う」のではなく、「闘ってほしい」のかよ。アホか。一枚でも二枚でも、葉書を書けよ。
 元TBS記者に意識を失った状態で強姦されたとして、フリージャーナリストの詩織さんは名前と顔を公表して被害を訴えた。だが「自作自演を隠して被害者面している」などとバッシングされている。
 砂は溜まれば、マシンを止める。ともにというか、私も同じ一人の詩織として、私の生きる場所で闘争することをここに宣言する。焼け跡であっても水を撒く。そこに人がいる限り。
(Vシネ批評)







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