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評者◆前田和男
元陸自レンジャーの社会 活動家・井筒高雄の巻 最終回
No.3310 ・ 2017年07月08日
■元軍人の国際反戦NGOの日本支部長に
5年の公民権停止処分が解かれた井筒高雄は、東京某区の選挙に出馬して地方議員に戻る道を模索していたが、折しも起きた国論を二分する歴史的政治議論のうねりのなかで、その道は断念し、「社会活動家」として身を投じる決断をした。 「安保法制」を突然ぶちあげた第三次安倍政権は、その実現にむけてピッチを上げ、2015年5月には国家安全保障会議と閣議で「平和安全法制関連2法案」の法制化を決定。衆参両院に提出、審議が開始された。 ここでにわかに反対運動が盛り上がり、連日のように国会周辺を中心に抗議行動が展開され、旧来の市民運動系だけでなく、シールズという若者によるニューウェーブ系が登場・参入して注目を集めるが、そうした老若・新旧の運動のどちらにもつねに井筒の姿をみかけるようになった。また国会周辺だけでなく、全国各地でも集会やデモが展開され、そこへも招かれ、かつてPKO法案に疑問を抱いて自衛隊を退役した井筒高雄は、安保法制反対のシンボルの一つになった感すらあった。 様々な分野から反対の声が上がったが、それまでは出会うことがなかった「著名人」たち――憲法学の権威の小林節、歴代自公政権の安全保障担当で元防衛省トップ官僚の柳澤協二、国連職員としてアフガンや東ティモールの紛争後処理に関わった伊勢崎賢治らとも付き合いが生まれた。そんな彼らに対して、井筒が「突撃インタビュアー」となって『安保法制の落とし穴』(ビジネス社刊)を刊行。安保法制をめぐる議論に一石を投じた。 やがて最後の山場がやってくる。安倍政権は7月16日、衆議院本会議で関連法案を強行採決、翌日参議院に送付され、紛糾と迷走を続けるが、9月19日深夜に参議院本会議が開会、自民党・公明党・次世代の党・新党改革・日本を元気にする会などの賛成多数により午前2時18分に可決・成立。井筒は議事堂前に集結した人々の先頭にたって最後の最後まで「反対」の声を上げ続けた。 “尻つぼみ”は敗北した運動の常だが、井筒に限ってはむしろ逆だった。安保法制成立におごりたかぶった安倍政権は南スーダンへの駆けつけ警護派遣、沖縄へのオスプレイ配備決定、同辺野古移設工事の推進、さらには改憲、そして共謀罪の再提出へと暴走。それに対抗しようと全国各地で熾火となって燃え続ける様々な運動団体に講演に呼ばれる回数がかえって増え、2015年夏安保法制成立以降の2年間で、その数は170回を超えた。その間に、自著『自衛隊はみんなを愛している!』(青志社)を刊行、シールズの奥田愛基から「井筒さんのような人が、予備自衛官だからという理由で、この法のもと、戦場へ送られ、人を殺す。僕は、そのことにきちんと向き合わなければいけない」とのメッセージが寄せられた。 そんななかで、井筒に社会活動家としての新しいミッションが与えられることになった。国際的反戦NGO「ベテランズ・フォー・ピース(以下VFP)」の日本支部長として白羽の矢が立ったのである。 その経緯は以下のとおりである。 VFPは米国の元軍人らによって1985年に設立された平和団体。イラク戦争などの戦争コスト、帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)被害調査やケア、そして世界各地の紛争地に対する反戦活動、核廃絶などに取り組んでいる。国連認定されたNGOで、全世界にメンバー約8千、支部120を数える。オリバー・ストーンやオノ・ヨーコも賛同人に名を連ねている(https://www.veteransforpeace.org/)。 そもそも、VFP本部は、昨夏の年次総会で、高江と辺野古の非難決議をし、秋の米大統領選で、民主党クリントンと共和党トランプの両候補に、「米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う新基地建設や東村高江周辺のヘリパッド新設、さらには沖縄に海外の軍隊が恒久的に駐留することで、防衛にどのように貢献しているのか」を問う公開質問状を送付した。 そして、昨年11月初旬、VFP本部から3人が来日。全国で講演会やトークショーを行なった。なかでも聴衆に共感を呼んだのは、メンバーの一人の次の発言だった。 「元米国軍人を代表して、私の国が広島、長崎に投下した原爆によって罪のない多くの人々の命を奪ってしまったこと、東京や他の地域でも空襲によって家屋を破壊して多くの命を奪ったことを、まず初めに心よりお詫びしたい。沖縄に関しても、とても責任を感じています。私は19歳の時に沖縄に駐留した経験があります。この小さな島に32もの米軍基地があり、今も沖縄の皆さんを苦しめていることに心よりお詫びを申し上げたい」 このメンバーは、沖縄のキャンプ・シュワブゲート前で、市民ら約100人と共に座り込みをして機動隊に排除され、大浦湾の海上行動にも参加していた。 この一連のVFP来日行動のなかで、井筒はメンバーと一緒に講演、その打ち上げの席で、「日本支部があれば」との話があり、2017の年明け早々に、VFPの会長から正式に日本支部設立要請がくる。それを受けて、6月1日に元自衛官8人と市民30人によってVFPジャパンが設立発足、井筒高雄が代表に就任。この8月、井筒は日本支部設立の報告スピーチをするためにVFP本部の年次総会が開催されるシカゴへ赴く。 29年前、自衛隊体育学校で円谷幸吉をめざして挫折した少年は、いま世界の反戦平和のフィールドへたすきをかけて走りはじめた。 (井筒高雄の巻 完) |
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