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評者◆土橋茂樹氏
古典と向き合いいつでも生きた思索の言葉を差し出せるようにしておくことが理想の哲学研究――アリストテレスのフィリアー論を手掛かりに「善く生きること」とは何かを探究した一冊
善く生きることの地平――プラトン・アリストテレス哲学論集
土橋茂樹
No.3306 ・ 2017年06月10日




■中央大学で哲学を教える土橋茂樹氏が、『善く生きることの地平――プラトン・アリストテレス哲学論集』(知泉書館)を上梓した。ギリシア哲学を手掛かりに、「善」とは何かを探究した一冊である。
 「三〇~四〇代の頃に書いた比較的初期の論文が中心です。当時は自分の論文が活字になるだけで嬉しかったものですが、今回一冊の本にまとめてみるとまた別様の感慨があります。還暦を過ぎて、臆面もなく若書きの一八篇をほぼ原型のままで晒すことは、もちろん気恥ずかしいものです。しかし、悪戦苦闘した挙げ句の各論考が、それと意図したわけでもないのに「善く生きること」という目標に向かって一つのまとまりを成していたことには、我ながら驚きました」
 「善く生きる」。簡単そうに見えて、実に難しい言葉だ。「まだつかみきれていない」と述べる氏に、敢えてその意味するところを尋ねた。
 「人は、人との関わりにおいてこそ善く生きたいと願うものです。しかしどんなに願っても、やむを得ず人を傷つけ、不正に手を染めざるを得ない時があります。そこをギリギリしのぐのが人間の底力。誰かのために善く生きようと思ってもそうできなかった自分を、その後の人生でどこまで背負えるか、どうやって償えるか。それが地平という言葉に込められた意味です」
 「信念系の転換と知の行方――プラトン対話篇読解」「魂と《生のアスペクト》――アリストテレス『魂について』の諸相」「善き生の地平としてのフィリアー――アリストテレス政治・倫理学の諸相」の三部構成。とりわけ「プロの研究者としてやっていけるのではないかという手応えを感じた」と言う「フィリアー(友愛)論」が大きな軸となっている。
 「鉱脈を探り当てたという感触がありましたね。実際フィリアー論を掘り下げていくことで、政治学や経済学などいろいろな領域へと自ずと関心が広がっていきました。フィリアーとは、具体的に条件付けられた人間と人間の関係性を指しています。アリストテレスは、個人的な関係から国家間の関係までいろいろなレベルの人と人との結び付きをフィリアーと呼びました。レベルはさまざまでも、そこには《誰かのために》《何かのために》という目的がある。アリストテレスは、そういう人と人との交わりから政治学も経済学も説き起こし組み立てていきました。だからどんな関係であれ、交わりの根本である友人や家族との関係を抜きにして抽象的に語ってしまっては、何か大切なものを見失うと思います」
 フィリアー論と出会ったのは、「次々と三人の子宝に恵まれて、生計を立てることに追われていた時期でした」と懐かしそうに当時を振り返る。
 「哲学はこういう場面で生まれるのだと初めて実感しましたね。勉強する時間もない代わりに、論文のアイデアだけには事欠きませんでした。中央大学に職を得たのが四五歳。それまでの十数年間、つまり収録論文の執筆時期は、いわばアルバイト暮らし。アカデミックな環境から遠ざかり、地下に潜伏するように誰に読まれるあてもなく黙々と論文を書いていた時期です。けれども、妻と子どもたちのおかげで我が家はいつも笑いが絶えず、そんな家族に助けられながら書き上げたフィリアー論は、恵まれた学生時代にはきっと書けなかったでしょうね。初めて生きた論文が書けたと思いました」。だからこそ、文体には生気が脈打つ。その文章のリズム感には、高校・大学時代、シンガーソングライターを気取って三〇〇もの曲を作った経験も生きた。
 哲学にとって古典は重要だが、一般的にはなかなか接する機会は少ない。しかし「古典は、たとえ二千年前のものでも現代に利用可能なアイデアの宝庫」と述べ、その奥深さの一端を教えてくれた。
 「古典は、当たり前の感覚をひっくり返してくれる。だから肌触りが悪く、とっつきにくい。妙にとっつきやすくしてしまうことで、古典の持つ喚起力や転換力を失わせてしまっては元も子もない。例えばエコノミーの語源は、ギリシア語のオイコノミア。この概念がキリスト教に伝播すると、人々の救済をも意味しました。神が人間をいかに具体的に救うのかがオイコノミアなのです。ところが新自由主義的経済はその側面を完全にそぎ落としてしまった。救済としてのオイコノミアを秘めていなければ、経済の真の力は発揮できないと思います。古典的素養を軽視した結果、概念が貧困になり、本来の能力もどんどん貧弱になってしまったのではないか」
 恩師、先輩、友人、そして家族への感謝を忘れない。そこに介在するのが、文字どおりのフィリアーである。理想とする哲学研究とは、「その言葉を欲している人のために、常に古典と向き合って自分なりの言葉を紡ぎ、たとえば行きずりの旅人が水をくれと言った時に、いつでも冷たい水を差し出せるように、読ませてくださいと言われた時に、いつでも生きた思索の言葉を差し出せるようにしておくことです」。そんな心意気で編まれた本書は、オアシスとしての哲学といえそうだ。

▲土橋茂樹(つちはし・しげき)氏=1953年東京都生まれ。1988年上智大学大学院哲学研究科博士後期課程単位取得満期退学。現在、中央大学文学部教授。本書に関連する編著に『内在と超越の閾』、訳書に『アリストテレス全集(小論考集)』、ハーストハウス『徳倫理学について』など。







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