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評者◆秋竜山
「おやぢ」について、の巻
No.3305 ・ 2017年06月03日




■石原千秋『漱石入門』(河出文庫、本体八三〇円)で、「おやぢ」について。おやぢといえば有名なのは、あの卓袱台がえしだろう。食事中の卓袱台をひっくりかえしてしまう。おやぢによってである。今の時代にそのような光景を目撃するのは困難だろう。昔もやたらに見ることはできなかったろう。しかし、おやじの代名詞はひっくりかえす卓袱台である。私の家ではそのようなことはなかった。ひと昔前、テレビドラマでよくやっていた。それで、そーいうものかと目のあたりに見ることができた。おそらくみんなそーだろうと思う。男なら一度は口にするだろう。年頃の息子は友達仲間に感化されて、「ヨシ、俺も」と思う。もちろん、父親に面とむかって「おやぢ」なんて、いえるものではなく、遊び仲間などの中で、おやじという言葉を口にする。男の成長過程の中で「おやぢ」言葉の洗礼を受けなくてはならないのである。そーしないと、いつまでたっても子供であって大人になれないような気がするからでもある。父親も息子が自分のことを「おやぢ」と呼ぶことがないが、うすうす世間では口にしていることがわかるものである。そして、「あいつも、大人になったものだ」と悪い気はしないものである。
 〈そう言えば、〈坊っちゃん〉は家族を固有名詞で呼ばない。「おやぢ」「母」「兄」という風に、自分との関係でのみ呼ぶ。それが日本語として自然であるだけにかえって、個人ではなく〈家〉の論理が〈坊っちゃん〉を拒否していることをさりげなく示すものとなってはいないだろうか。〉(本書より)
 息子がいくつになっても「パパ」や「お父さん」あるいは「お父ちゃん」とか「父」と呼んでいると、成長しない奴だと思われるだろうと気になるところだ。もしかすると、私は成長しない長男であったかもしれない。父が90歳を越えても、あいかわらず「お父ちゃん」であったからである。それでも一歩外へ出ると、「うちのおやぢ」となる。お父ちゃんと呼ぶ場合もあったけど。
 〈「こいつはどうせ碌なものにはならないとおやぢが云った。乱暴で乱暴で行く先きが案じられると母が云った」、「おやぢは何にもせぬ男で、人の顔さへ見れば、貴様は駄目だ!!と口癖の様に云って居た」。〈坊っちゃん〉は〈家〉の中ではこういう否定的な言葉で規定され続けた。〉(本書より)
 テレビ・アニメの「サザエ」さんに出てくるお父さんはいつも「バカモン」と大きな声をあげている。三歳の子供に、「サザエさんのお父さんは何ていうのかな?」と、いうと子供はすかさず「バカモン」と答える。テレビにおけるマンガのおやぢ教育というものだろう。
 〈おやぢは些ともおれを可愛がって呉れなかった。母は兄許り贔屓にして居た」と言うのだ。「坊っちゃん」の第一章は、〈坊っちゃん〉の家族が彼に辛く当たる態度と、そのことに対する彼の反発が、これでもかというくらいに描き込まれている。〉(本書より)
 「おやぢ」と呼びすてないで「おやじさん」と呼ぶ。でも、私は「おやぢ」と呼びすてのほうが好きだ。なんとなく親しみとか愛情がこもっているような気がする。







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