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評者◆秋竜山
死ぬ以上にかなしい人生の結末、の巻
No.3302 ・ 2017年05月06日
■「変身」といえば、カフカの「変身」(一九一五年)に決まっている。この前の号(3300号=2017年4月22日号7面)で取り上げている。千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』(ちくまプリマー新書、本体八四〇円)。この前は、「巨大な虫に変身」ということにこだわった。巨大な虫というだけではよくわからない。イラストとか挿絵などで説明してほしいものだ!! と、いうことだった。それをやってしまうと、読者のイメージのひろがりがなくなってしまうという問題もあるらしい。そういわれればそうかもしれない。でも、今の時代は映像で納得させることで、受け手も納得できるというものだ。へたに、このような巨大な虫だった!! なんて、やってほしくないのかもしれない。そして、ついにグレーゴルは死をむかえてしまう。
〈最後にグレーゴルは自室で死んでしまい〉(本書より) 巨大な虫に変身してしまった彼は、自室にこもりっきりになり、ドアから一歩も外へ出ず、毎日かくれて生活をしている。彼の結末は死ぬしかなかったのである。死ぬまで、そんな姿で生き続けなくてはならないのであった。しかし、その死があまりにもかなし過ぎる結末であったのである。死ぬ以上にかなしい人生の結末であったのだ。その死の原因というのが、こともあろうに、父親に投げつけられたリンゴによってであったのだ。こんな死にかたってあるだろうか。それだけに、この小説の怖さは計りしれないものがある。なんとも、かなしい場面である。父親はわが子にむかってリンゴを投げつけたのか、巨大な虫にむかってなのか。巨大な虫にむかってに決まっている。しかし、その巨大な虫もわが子そのものである。グレーゴル自身、なぜこのような姿になってしまったのかまったくわからない。わからないから怖い。説明できないから怖い。自分でもなにがなんだかわからない。家族のものにとっても、わからないままに、わが子であることには間違いない。この一家も最初の内は家族として、めんどうをみてきたのである。そして、ついに!! と、いう結末が怖い。 〈多くの読者もそうかと思いますが、僕はこの小説が始まってすぐから、「突然一家の厄介ものになってしまったグレーゴルのストーリー」というパターン認識で、いままで読んできました。〉(本書より) 「お父さん。僕だよ。わかってくれよ、お父さん。お父さん!!」と、心の中で叫んだであろう。しかし、その声は父親にはとどかなかった。 〈小説のストーリーがじつは「突然稼ぎ頭が厄介ものになってしまった一家のストーリー」だったのだ、という着地を決めてみせる。そういうエンディングなのです。〉(本書より) わが子に対する殺人でもあるわけだ。ところが、巨大な虫であったなら殺人といえるのだろうか。私がかなし過ぎると思えるのは、こともあろうに、愛する父親によってであったの一言につきる。父親はどのように考えたかしらないが、わが子を殺してしまったという意識はあったのかどうか。これは、わが子ではなく巨大な虫だ!! 虫だと、自分にいいきかせていかなくては生きていけないだろう。いったい、グレーゴルはどこから来てどこへ行ってしまったのだろうか。 |
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