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評者◆前田和男
元陸自レンジャーの社会 活動家・井筒高雄の巻37
No.3300 ・ 2017年04月22日




■歴史的政権交代選挙に関わる⑨

 井筒高雄と井奥雅樹の“市民派選挙お助けコンビ”が下支えする田中康夫選対は、民主党の推薦を受けながら、地元の民主党地方議員たちも及び腰のままのジリ貧状態にあった。そこへ、突然、民主党副代表で地元の実力政治家、石井一が自ら乗り込んできた。惨状を見るにみかねての義侠心からか、あるいは田中康夫と昵懇の小沢一郎から水面下で支援要請があったからなのか。それは当時も今も「定か」ではないが、選挙も中盤をすぎてからの石井による「教育的指導と介入」が決定的なターニングポイントになったことだけは、今から振り返ると、「定か」なことであった。
 清濁併せ呑むタイプの古典的な保守政治家である石井は、体育会系で義理と人情に厚い井筒が大いに気に入っただけではなかった。老練政治家ならではの眼力で、井筒の潜在能力を見抜いたようだった。
 たしかに田中康夫も井筒を気に入って重用していたが、あくまでも「頭脳」は田中で、井筒は「手足」でしかない。前述したように、たとえれば「元いじめられっ子」の田中が「元いじめっ子」の井筒を「部下」として従えているという関係であった。それゆえ田中が地元・尼崎にいるときはもちろん、不在のときでも井筒に「総大将の代理」をさせることはまずなかった。
 ところが石井は、おそらく以前に井筒の演説を聴いたことがあったのかもしれないが、井筒には田中にはない表現力と発信力があると見抜いていて、井筒を前面に出して使え、田中の不在のときだけではなく、田中が地元の尼崎にいるときも、井筒にも対等に出番をつくれと直言したのである。
 そんな提案をされても耳を貸す田中ではなかったが、相手が超大物の石井とあって、それを受け入れ、これで田中と井筒は文字通り完全な“ニコイチ”となった。
 これが選対に与えた心理的な影響は大きかった。田中の懐刀で、井筒たちとのつなぎ役でもあった新党日本の事務局長・平山誠は選挙前に追い出され、戦いの半ばで民主党中央から派遣された事務局長も逃げ出し、平山の代わりに送り込まれた田中の秘書は田中の悪口を陰で言いまくりながら、そのくせ当人の目の前では従順なふりをする、そんな状況のなかで信じられるのは一緒に汗水流している「仲間」だけという「戦友意識」が生まれていた。そこへ、石井によって仲間の井筒が抜擢をされ、さらに石井が当人の代わりに張りつけた秘書が新たに「戦友」に加わった。石井の秘書は田中の秘書とはちがって気さくな「やんちゃ系」で、井筒たちとも気心があい、彼らの絆はいっそう強まった。
 井奥によると、後に仲間同士でこんな冗談を言いあったという。
 「ガタルカナル島で生き延びた戦友が仲良しなのは、わかるよな」
 これで、物量でこそ叶わないが、ようやく冬柴陣営と勝負ができる状態になった。
 そう滅多にあることではないが、選挙情勢は最後の三日で変わる、いや時には前日で変わることさえある。
 井筒は田中と“ニコイチ”で街宣をしながら、井奥は事務所で粛々と選挙実務をこなしながら、「滅多にないこと」が起こりそうな予感を覚えていた。
 その予兆は最終盤の各紙の予想にも現われていた。
 投票日が3日後にせまった8月27日、朝日新聞朝刊は世論調査にもとづく終盤の情勢として、「田中一歩抜け、冬柴猛追」の見出しを掲げて、次のように報じた。
 「田中一歩リードし、冬柴が激しく追い上げる展開だ。田中は推薦を受ける民主支持層の7割を固め、30~50代の半数を押さえた。冬柴は公明支持層はまとめたが、自民支持層の7割にとどまり、田中に侵食されている。無党派層では冬柴がやや強いが、田中も踏んばっている」
 これで、冬柴のリードを予想したのは日経と読売。片や田中のリードを予想したのは毎日に続いて朝日となり、ほぼ五分となった。
 そして翌日、投票日まであと2日の8月28日、地元紙の神戸新聞が選挙期間中で2度目の予想を発表した。同紙は「全国の注目50区終盤情勢」の筆頭に兵庫8区を取り上げて、「田中と冬柴激しく競る」との見出しを掲げていた。同紙23日の予想記事の見出しは「冬柴と田中激しく競る」となっており、これはわずか5日間で両者の順番が入れ替わって僅差ながら田中が優勢となったことを意味していた。
 これを受けて、井筒たちの意気は大いに上がった。選挙運動ができるのは残り1日となった最終日の29日、夕方からの打ち上げが阪神尼崎駅頭でもたれたが、あふれんばかりの有権者が押し寄せ、応援にかけつけた議員たちの演説リレーに対して、「早く田中の話を聞きたい」との声が飛んだ。
 いっぽう、井奥がつめる選挙事務所には、数日前から、冬柴陣営の支持者と思われる有権者から、「田中康夫の選挙はがきが届いたが、支持者でもないのに迷惑だ」といったクレームの電話が頻繁にかかるようになったが、選対としては、むしろ勝負になってきた証しだとして意に解さなかった。
 だが、実はこれは選挙後に井筒と井奥を天国から地獄へと突き落すことになる予告でもあったことに、このとき二人は気づくよしもなかった。
 熱狂的なフィナーレを迎えたことに井筒たちは満足と手ごたえを感じながらも、朝日新聞の無党派層の浸透では冬柴に負けているとの予測もあり、無党派の支持がたよりの田中陣営としては予断を許さないと身を引き締めながら、運命の8月30日の投票日当日を迎えることになった。
(本文敬称略)
(つづく)







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