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評者◆秋竜山
「変身」は読者に丸投げ小説だ、の巻
No.3300 ・ 2017年04月22日




■カフカの「変身」と、いう小説は、まず読み始めた最初からわからなかった。千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』(ちくまプリマー新書、本体八四〇円)で、その「変身」のことがのっている。
 〈セールスマンのグレーゴル・ザムザは、ある平日の朝、目が覚めたら、巨大な虫(Ungezieferを虫と訳していいかどうか、じつに異論も可能なのですが、とりあえずこうしておきます)になっていました。〉(本書より)
 私が、この小説を読み始めた最初からわからなかったのは、〈巨大な虫〉である。本来、虫というものは小さな指先でもつまみ上げることができるほどのものであるが、巨大となると、どーいうことか。グレーゴル・ザムザが、いつものようにベッドの上で目を覚ましたら、なんということか自分の身体がいつもと違う。虫になっていた。それも巨大な虫である。思ってもいなかった出来事である。もしかすると、いつものように目覚めたら、自分は地獄にいた、天国にいたとしても同じだ。この世でなく、あの世にいたということである。マンガではこのようなことはありえるだろうが、現実にあるとは。それとも、夢をみているのか。いや、夢でもなさそうだ。巨大な虫である。と、小説を読みながら、こう解釈する。
 ところが、ここでハッ!! と気づくのは読みながら、巨大な虫とはどんな虫であるか? と、いうことである。活字で巨大な虫ということは、どのような虫であるか、読み手がイメージしたまえ、ということである。イメージというものは十人十色であって、一人一人が異なった虫を頭の中にえがくだろう。私は、このような巨大な虫を想像したという人もいえれば、「いや、そーではないだろう」と、いってこーいう虫だという人もいたとしても間違いはないだろう。これは、作者であるカフカの責任である。つまり、読者に丸投げ小説ということだ。このような巨大な虫であったと、文字で説明あるいはイラストで説明すると、そこでイメージがストップしてしまう、という考えもあるらしいが、それは読み手側の責任であるみたいで、ちょっと無責任すぎないだろうか。
 もしこれがマンガ作品であったら、この巨大な虫を画にしなければマンガとして成立しないだろう。巨大な虫の部分だけを読者が考えてくださいと、白ヌキとか黒ぬりであったとして、マンガになるだろうか。私はマンガ家として、そんなことを考えてしまうのである。たとえば、俳人芭蕉の「古池や……」は有名であるが、この句で問題とされているのかいないのかしらないが、カエルが古池にとび込んだ時、いったいどのような水音がしたのだろうか、ということである。さまざまな音が人によって想像される。そんなこと、気にすることもなく、気にするほうが変だろう!! なんて意見もあるだろうが、気にする人にそんなことをいっても通じないだろう。そんな人間は、この俳句をたのしむ資格はない!! と、いうことになるのかならないのか。
 「変身」の巨大な虫もまったく同じである。ここで、ハッ!! と気づいたというか思い出したことは、昔、読んだこの「変身」で、イラスト付きがあったということだ。その時、今のように巨大な虫について、あーでもない、こーでもないということもなかった。私が一番に問題としたのは、この主人公が長男であるということであった。







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