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評者◆石黒健治
写真vs.映像――映像と写真の違いは、映像的見方と写真的見方、つまり見る側の違いのことだったのか
No.3298 ・ 2017年04月08日




■去る2月9日、ぼくは第9回恵比寿映像祭のオープニングのプレスツアーに、遅れて参加していた。冷たい雨の中、書類を持った女性がガイド役で解説をしていた。
 ひとかたまりの傘の群れの後ろからついて行くと、突然、「映像と写真は違います」と高らかに言い放つような声が耳を打った。
 記者からの質問に解説者が答えたのだろうが、ぼくには聞き捨てならないセリフだった。
 写真とは? 映像とは? この問いほど悩ましいものはない。いつも問いながら答えられない、答えが分からない、いや、答えなんてない、あるはずがない、この苛立ちに似た通底音は、実は、【写真愛】の背景を流れるBGMかもしれないのだが。
 映像祭の公式パンフレットを開くと、巻頭に挨拶文とも巻頭宣言とも言える一文がある。
 「恵比寿映像祭では毎年のフェスティバルを通じて、「映像とは何か?」をめぐる様々な問いと答えを、繰り返し提示してきた。プレイヴェントとして行った「映像をめぐる7夜」から数えれば10年目となる今年……」
 執筆者は、あのプレス・ツアーを引率してきたディレクターの岡村恵子さんである。彼女は第1回から(2年間を除いて)ずっと映像祭を手がけてきたという。
 東京都写真美術館の図書室で、過去の公式パンフレットを見てみた。岡村さんが担当したすべての回の巻頭文に全く同じ文言、「映像とは何か? を……」があった。リフレーンのように。もちろん書いたのは岡村さんだ。
 読んで、同じようなことを毎年考え続けて、毎年、映像とは? と呪文のように唱えている人がいることに、なぜかほっとした。大げさに言えば、立場は違うが同じ戦争を戦っている戦友を発見したような。
 その彼女が「映像と写真は違います」と言い切ったのだ。
 会って、話を聞きたくなった。
 「「映像」には直訳の英語がなくていつも困るんです」と、岡村さんはぼくを驚かせた。「「映像」とはじつは日本特有の言葉なんです」。
 彼女は、「映像」の語に「オルタナティヴ・ヴィジョン」を当てはめる。おそらくポップ・ミュージックの対義としてのオルタナティヴ・ミュージックからの援用だろうが、言い得て妙のネーミング、名訳だろう。
 日本語で「映像」といえば、彼女も別の対談で話している通り、写真はもちろん、テレビ、動画、映画、絵画、さらに頭に描いたイメージや夢に見る幻影も、みな映像だ。それらすべてのうち、ありていに言えば商業化した映像に対する代替アートの意味を「オルタナティヴ・ヴィジョン」に込めたのだろうか?
 写真と映像の違い、というとき、一般的で優等生的答えは「写真には時間がないが、たった1秒でも時間が加われば映像となる」だろう。
 これには異論があって、1枚の写真にもヨコの時間があり、それは観る人との対話の中にある、という。また別の言い方では、流れる時間にも踊り場があって、写真はまさに時間の踊り場である、という。
 確かに、通り過ぎようとした写真にふと呼び寄せられて、長い会話を交わす、あるいはただその前で立ち尽くすような写真も、あるのである(そんな写真を1枚でも撮れたら死んでもいいと思っているカメラマンもいる)。
 しかし、岡村さんは違う。「映像的な見方は、ある作品が、1点だけで傑作だとかは決められない。場所、タイミング、見る方のコンディションが関係する」と。
 映像と写真の違いは、映像的見方と写真的見方、つまり見る側の違いのことだったのか。
 話は飛ぶが、いま、重い小説や映画は嫌われているそうだ。例えば今村昌平監督の『楢山節考』など、人間の存在を問い詰める作品は敬遠されて、小津安二郎風の小市民的な、ささやかな幸せを描いた作風が好まれる。それは世界的な風潮らしい。
 誰もが生き難い現代社会で、見て聴いて心が重くなるような作品は、ダサい。余計にくたびれる。「これ以上の精神的負担はご免だよ」という声が聞こえてくる。
 オルタナティヴ・ヴィジョンは、この萎縮した精神へのこよなく優しい贈り物なのだろうか?
 岡村さんは、映像のことばの曖昧さを逆手にとって、「それ故の自由度をずっと大切にしてきた」という。そして彼女は、あえて答えのない問いを問い続けて、年ごとに、例えば第9回の今回は「マルチプルな未来」というテーマを掲げて、挑戦した。結果はどうあれ、挑戦こそ良し、と拍手をしたくなる。
 「……いまやわたしたちは、かつてのサイエンスフィクションが描いた「未来」を生きている。「未来」は既にわたしたちの中でも起こっている」と彼女は書く。そして、「芸術とは、問いと答えを問い続けることだ」と。
 その夜、ぼくは恐ろしい夢を見た。福島の双葉町海岸をさまよっているとき、瓦礫の中に光るものがあり、それはゴッホの自画像だった。拾って帰って、美術館の壁に掛けた。すると、自画像は18枚のマルチ映像の岡村さんになっていた。
(写真家)







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