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評者◆前田和男
元陸自レンジャーの社会 活動家・井筒高雄の巻31
No.3291 ・ 2017年02月18日




■歴史的政権交代選挙に関わる③

 6月になって、解散総選挙が射程に入るなか、兵庫8区への出馬を決意した田中康夫によって、選挙実務責任者のための打ちあわせが、地元尼崎で設定された。この時を待っていた井筒高雄と井奥雅樹の「市民派選挙お助けコンビ」は勇んで参加。すると、そこには意外な「仲間」がいた。地元尼崎選出の市民派県会議員の丸尾牧である。
 丸尾は1964年生まれ、大学卒業後、地元の尼崎で無農薬野菜店を経営していたが、不正議員の刑事告発と議会解散運動に参加したのを契機に市議となり、4期つとめて、2年前の2007年に県議になっていた。
 井筒と井奥からすると、丸尾は地方行政と議会を監視するオンブズマン上がりなので、国政にはあまり関心がないのではないかと勝手に思い込んでいた。だから、「一緒にヤッシー選挙をやろう」と声をかけることはしなかった。ところが、驚いたことに、丸尾は丸尾で、周辺の人々と共に田中康夫擁立に関わっていて、それでこの日の会議に呼ばれたのであった。
 知名度はあっても所詮は落下傘の候補を担ぐ選挙では、選対までもが外人部隊ばかりでは地元から反発をくらって戦さにならない。したがって、4期にわたる市議時代は常にトップ当選で地元に深く浸透している丸尾県議の参加は、嬉しい想定外だった。
 一方でネガティブな想定外もあった。実働部隊の事実上のキックオフの場に、これまで調整役を果たしてきた新党日本事務局の平山誠の姿がなかったことである。後で判明したのだが、平山は田中と意見があわず「除名」されていたのだ。今回の選挙をめぐってというよりも、おそらくかねてから両者の間には軋轢があり、それが選挙を機に一挙に顕在化したのだと思われる。田中の「側近斬り」はこの時にはじまったことではない。長野県知事時代にも「事務局長」に相当する側近を更迭している。そもそも田中には参謀役としての「有能な事務局長」は不要なのかもしれなかった。田中は自らが参謀を兼任して陣頭指揮をとるつもりだった。たしかに短期決戦では、「直接統治スタイル」は機能的ともいえたが、一方でこれが後々選挙に様々な軋轢と混乱を生むことにもなるのである。
 さらに、ある程度想定はしていたものの、二人を失望させた「期待外れ」もあった。
 ひとつは、労働団体の連合の支援である。野党候補が強力な自公の現職に挑むには、連合は頼もしい応援団である。ちなみに辻元選挙では、地元の連合、とくに地方公務員の組合である自治労や郵便局職員の組合の全逓(後に同盟系の全郵政と合併してJP労組となる)や教職員組合の現役や退職者がしっかり実務をこなし、勝利を下支えしてくれた。ところが、ここ兵庫8区では、連合は応援にこないどころか、なんと社民党から立候補した女性候補の支援にまわったのである。連合兵庫傘下の尼崎市の組合執行部は社民党支持であったが、そんな矮小な理由からではない。
 そこには、連合兵庫が主導してきた独特の政党間協力システム「連合・五党協」の盛衰がかかわっていた。それは、連合の主導による社会党、民社党、公明党、新生党、日本新党の5党の非自民・非共産の政党連携で、1994年、ここ尼崎の市長選で自民の現職を倒すために誕生したものだった。以後、兵庫県下の地方選挙はもとより、国政選挙にも適用されることになる。それは公明党が自民党と連立を組んでからも機能し続け、公明党の冬柴鐵三が圧倒的な強さで連続当選できたのも、この「連合・五党協」によって民主党などの他の4野党が対抗馬を立てられなかったからであった。しかし、中央の政界再編と余りにもずれていることもあり、国政選挙レベルでは2003年の衆院選挙を最後に消滅。そのため前回の2005年の郵政選挙では、民主党が対立候補をたてて善戦、冬柴を慌てさせたのだった。
 であれば、今回の総選挙では、連合兵庫と「五党協」の残党は田中康夫の支援にまわってもよさそうなのに、そうはならないのはなぜなのか。それには、こんな経緯がある。「連合・五党協」が全盛であった阪神・淡路大震災直後、彼らは神戸空港推進の音頭をとった。これに対して「そんなことよりも震災復興を」と反対運動を主導した一人が、当時震災ボランティアに入っていた田中康夫だった。すなわち、連合と「五党協」の残党にとってヤッシーは「宿敵」なのである。
 もうひとつ、井筒と井奥を失望させた「期待外れ」は、地元における最大野党・民主党の動きである。地元の民主党がかつて「五党協」の一員であったこともあるが、もうひとつ、田中が民主党幹事長(当時)の小沢一郎と個人的なつながりが深く、民主党中央は地元の意向をさぐらずに田中の全面支援を進めていたことへの反発があったのである。そのため民主党系では、組合と距離がある吉本県議は選対会議などには顔を出したが、市議も含めて十分な支援とはいえなかった。総じて腰が引けていた。
 党中央から人が送り込まれて事務局長に座ったものの、田中とそりがあわず、途中で任務を放棄してしまうという体たらくで、朝日新聞に次のように内情をあばかれる始末であった。
 「新党日本代表の田中康夫が解散直前に立候補を表明。民主は推薦して、全面的に支援する方針だが、地元では党本部主導での擁立に反発もあり、一枚岩になれない。」(7月21日朝刊)
 事実はそのとおりだが、これを読んだ地元の民主党支持者は田中から離れていきかねなかった。
 その後明るみにでた「ネガティブ材料」と「期待外れ」を挙げればきりがないが、これだけでも、せっかく高揚していた井筒と井奥の気分を萎えさせるには十分であった。
 「市民派選挙お助けコンビ」としては、選挙の現場と現実を幾度となく体験をしているがゆえに、田中選挙の実情を知るにつけ、身を退くことを真剣に考えた。しかし、最終的には踏みとどまった。
 ひとつは、「嬉しい想定外」であった地元の丸尾県議が仲間の尼崎市議を呼びこみ、やる気を見せていることだ。義理と人情が身上の井筒にとっては、いくら勝ち目がないからといって丸尾を残していくことなどできない。
 さんざん悩んだ末に、井筒と井奥には、ついこの間の宝塚市長選挙が思い起こされた。あの選対の内実もぼろぼろで、とても選挙ができる状態ではなかった。それでも、「逮捕されない市長を1期だけでも送り込めば宝塚市民にはメリットがあるのでは」と、お互いを慰め励まし合って選挙を続けて思わぬ結果を出すことができたではないか。こうして二人は、「とにかく、最後までつきあおう」と意思を一致させたのだった。
 そして、ついに解散総選挙の日程が確定した。
 7月17日、麻生太郎首相は、7月21日解散、8月18日公示、30日を投票日とすると発表、総選挙へと踏み切った。戦いのために残されたのは、わずか45日であった。
(敬称略)
(つづく)







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