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評者◆稲賀繁美
世代間の遣り取りと隙間とに育まれる「光」――美術批評家ゾラの軌跡‥『印象派の終焉』の著者・リチャード・シフの来日にちなんで
No.3290 ・ 2017年02月11日




■印象派の画家、カミーユ・ピサロは先輩格のエドゥアール・マネについて、こんな言葉を残している。「マネにはかなわない。あの男は黒さえ光にしてしまうのだから」。落選者マネを賞賛して顰蹙を買ったのは駆け出しの批評家エミール・ゾラだが、ゾラには絵は分からないというのが、当時の世評定だった。いかにも審美眼の「解像度」は低かろうが、だからこそというべきか、ゾラにはこれまた黒に光を与えるだけのジャーナリスト的才覚、鋭利な修辞の輝きがあった。そのゾラが「美術批評はマイルドではだめだ。嫌いなものは嫌いといわねば」と注進に及んだ相手が、親友のテオドール・デュレ。だがカスタニャリやデュレがバルビゾン派を自然主義者naturalistesと呼んだのを流用し、クロード・ベルナールらの実験科学精神で擬装してみせたのが、「自然主義文学」の語源だったはず。
 そのゾラは1860年代後半にはピサロをgrand maladroit monsieur「大不器用な旦那」と呼んで賞賛した(石谷治寛)が、文名も上がった70年代末、ロシア語出版の文藝記事でマネは「眼高手低」、印象派は「吃るばかり」との批判を加えて、物議を醸す。印象派の「解像度」が向上しないのに苛立った――それがシフ教授の解釈だ。竹馬の友だったポール・セザンヌとはゾラの『作品』(1886)公表ゆえに決裂した、とのジョン・リウォルドによる仮説=神話は、近年覆された。両者にその後も文通のあった証拠が発見されたからだ(*)。とはいえ晩年の大文豪ゾラには、セザンヌは「流産した天才の断片」に畢わった。そのセザンヌをモーリス・ドニが「不器用」gaucherieなプリミティヴ派の衣鉢を継ぐ「エクスの巨匠」に祭り上げるのは、20世紀初頭。だが1902年に没するゾラは、セザンヌ没後の栄光を知らない。
 ドレフュス事件後、晩年のゾラは社会主義に傾倒したが、その没後の顕彰を担った「人権同盟」の関係者は、殊更ゾラの政治的なengagementを強調した(寺田寅彦)。だがゾラ友の会副会長に指名された先述の老デュレは、コミューンの醜聞からクールベを復権するため非社会主義的「純粋藝術家」たる「写実主義者」像を創建した張本人だった筈。「人権派」ゾラ像越しに、非政治的な「藝術の自律」(P・ブルデュー)観が遡及的に確立する。それがModernism生成期の抑圧=昇華の絡操だった。
 ゾラの美術批評が、思想的・世代的に敵対する詩人ボードレールに密かに負っていたことは、吉田典子も指摘する通り。私見ではデュレもまた敵方の保守派美術批評家ポール・マンツの「ケバケバ」bariolageという悪口を賛辞へと転倒する詭弁で、マネ擁護の論陣を張っていた。「自然主義」作家ゾラは実際には精神分析家顔負けの象徴主義者だった。同様に批評の実態もまた教科書的な流派交替の図式を裏切る。ポール・ゴーガン認知に尽力した批評家シャルル・モリスはデュレの『マネ伝』を評してこう綴る。「マネは鎖の連鎖の魔法の環だ。そこで過去と未来とが遭遇してひとつの輝きを放つ」と(1906)。けだし乖離した世代間の価値観の齟齬と擦過傷とを熱源に、「素朴さ」naivteの顕現たるmodernite(ボードレール)はmodernism(グリーンバーグ)へと変態を遂げてゆく。従来の「画題」sujetを脱した「現代生活」が定型formuleに嵌り「手法」techniqueと化し、それとは裏腹に「不器用さ」maladresseの「魅惑」や「優美なる強張り」raideurs elegantesは画面の物質性へと実体変化を閲す。過去の「醜聞」は未来の「栄光」へと脱皮し、かくして未熟だったはずの「黒」は「光」を帯びるに至った。

※Paul Cezanne,Emile Zola, Lettres croisees(1858‐1887)ed.&preface d’Henri Mitterand,Paris:Gallimard,2016.「ゾラの美術批評を再考する」京都工芸繊維大学、2016年12月17日会場での筆者の即興のコメントを採録する。招聘者Richard Shiff、主催者の永井隆則教授、登壇者の皆様に御礼申し上げる。







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