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評者◆秋竜山
手塚マンガのたのしさ、の巻
No.3290 ・ 2017年02月11日




■ここは天国の銀座四丁目。と、ある喫茶店。ベレー帽の手塚治虫さんが足早に入ってきた。「やあ!! どーも、どーも」。いつもの口グセである。待ち合わせの約束時間十五分遅れも、いつもと同じだ。椅子から立ち上がったのが、漫画サンデーという漫画週刊誌があったが、初代名物編集長であった峯島正行さんであった。お互いに「元気そうですね」と、笑顔であいさつをした。峯島さんが天国へ到着したのは平成28年11月18日、逝去と同時だった。峯島さんが待ち切れない気持ちで手塚さんに差し出したのが、持参した一冊の新刊本であった。峯島正行『回想 私の手塚治虫』(山川出版社、本体二〇〇〇円)。出版したてのホヤホヤで湯気が立っている。手塚さんが、峯島さんから受け取った、自分が書かれてある本をうれしそうにページをめくった。……と、いうように私の頭の中ではそのような場面の転回である。
 四、五年ぐらい前になるだろうか、峯島さんに「手塚治虫さんを書こうと思う」と、知らされて、その時はちょっと驚いた。峯島さんは大人マンガ畑の編集者であった。昭和三十年頃から週刊誌の漫画サンデーを創刊した時からの、いわゆる大人マンガの歴史をつくってきたような人である。当時、児童マンガ(子供マンガ)と大人マンガがハッキリした形で世界を持っていた。峯島さんは当時から大人マンガの世界の人であり、大人マンガ家たちとの交流が深かった。その分だけ子供マンガの世界との交流はなかったように思う。子供マンガといえば、手塚治虫であった。その手塚治虫を大人マンガ誌に引っ張り込んだのが、峯島編集長であった。その詳しい経緯は本書に書かれてある。峯島さんから、手塚治虫を書こうと思うといわれ、私にも、手塚治虫さんについて知っていることをおしえてヨ!! と、いわれたが、私にとっての手塚治虫は、子供の頃から手塚マンガを見て育ってきたマンガ馬鹿であったが、マンガ家になってからは同じ漫画集団員ということで、よく旅行など御一緒させていただいたが、あらためて手塚治虫となると、あまりに恐れ多すぎる。それでも、峯島さんと手塚マンガのことを話す時は、たのし過ぎるくらいたのしかった。
 〈ナンセンス漫画家の秋竜山と話をしていたときに、たまたま馬場のぼるに話が及んだ。秋曰、馬場さんが、木を一本描いて、その上を鴉が飛んでいく、夕暮れらしい雲と山の稜線を描くと、俺たちが幼いころから経験している夕暮れのさびしい気分が、その単純な絵から湧いてくる。これが馬場さんの世界だ。この世界は日本人が誰でも持っている世界で、それをわずか数本の線で描いてしまう」私はなるほどな、と思った。秋たちの血肉の中に存在する、日本の風土が醸し出した何ものかを具体化したのが、馬場の漫画の線描なのであろう。これは手塚の漫画にはないものである。(略)手塚は、馬場とは全く違う。手塚は時代の潮流、世の中の嗜好の変動を確実に捉え、それに自己の作品を順応させるよう努力したと思われる。〉(本書より)
 私が、馬場マンガのすごいと思うのは、作品の中に一本の松の木を描いただけで日本風景の情緒を表現しきってしまうということであった。その松の木一本は手塚マンガにもあった。馬場マンガと手塚マンガに描かれてある松の木はお互いに個性的でありながら形がよく似ていた。







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