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評者◆稲賀繁美
等価交換の幻想から修復的司法の刷新へ――ヴァヌアツの事例紹介から
No.3287 ・ 2017年01月21日




■ヴァヌアツ共和国は、ニュー・カレドニアの東、メラネシアに位置する島国である。オーストラリアからも近く、多くの観光客も訪れる。だが近年問題となっているのが、交通事故の多発である。こんな事例報告を耳にした。さるオーストラリア人の滞在客が交通事故を起こし、地元の子供が死亡した。加害者の彼は地元の伝手を頼み、別の島の「チーフ」が調停者として招かれた。一度目の会合では加害者と被害者の家族が、調停者の陪席のもとで面会。2度目の会合で被害者の家族は請求する賠償金額を提示する。3度目の会合で加害者側は支払いに応じた。これで一件落着かと思ったが、ここから話がやおら混線する。
 被害者の家族は、この段階になって賠償金は受け取れないと言い始める。事故の原因は加害者にはなく、実は彼らが知らぬ間に巻き込まれていた妖術により発生した。「正直者」の父親は、だから賠償金額は受け取れない、と主張する。そこで調停者は示談金の減額を提案し、両者大団円の印として、最後に加害者に向かって、被害者と「家族」関係を結んでは? と勧めた。この提案に加害者のオーストラリア人は文句なく同意し、賠償金が支払われる。ところがその彼は、帰国したきり消息を絶ってしまった。仲介に入った「チーフ」は、せっかく良い関係になったのに、なぜ? と残念がった。被害者の家族は、もうあまり気にはしていなかったそうだが、事情通の話では、示談金額は通常の和解の場合より、はるかに少額だったという。同様の交通事故死の場合、通常の裁判手続きに頼れば、オーストラリア人加害者は数年の入獄は覚悟せねばならなかったらしい。また「チーフ」によれば、事故が発生した島は、ヴァヌアツでも妖術や呪術に関する「迷信」が根強い地域だったのだという。
 実のところ、件のオーストラリア人は職業弁護士だった。西欧文明圏から到来した彼は、おそらく「家族」になろうという提案を、額面通りには受け取れなかったのだろう。示談金を払えばそれで司法的な修復はなされたのであり、地域の慣習にそれ以上深入りすることに道義的責任など感じなかったのかもしれない。だがヴァヌアツでは、これは社会的道義の中途放棄に等しかった。そこには、西欧側のローマ法やユダヤ=キリスト教の道徳観に立脚した補償観念と、社会的な絆を大切にするヴァヌアツ社会との溝が露わになった。
 無論「妖術」云々の「非合理」な説明は「文明人」には理解し難い話だったかもしれない。とはいえそこには、等価交換の論理では償えない精神的な痛手を修復するための知恵が隠されてもいる。「妖術」という説明原理は、それなくしては塞げない心の傷口に手当を施すための便法、「罪と罰」の応報の原理だけでは解決できない魂の問題を処理するための、世故の知恵だった可能性も排除できまい。だが通りすがりの余所者、オーストラリア人弁護士にしてみれば、法律的な責任から逸脱した「家族」関係といった、精神的な貸借の終わりなき循環に不用意に巻き込まれることには、本能的な恐れが働いた嫌いもなくはあるまい。
 ここには、グローバル時代の異文化間倫理を考えるうえで、重要なヒントが隠されている。あるいはこの切実な話題を土台として、映画のスクリプトを創作してはいかがだろうか?

※大津留香織「グローバル社会における葛藤解決手段の考察――ヴァヌアツ共和国の事例から」第3回アジア未来会議The 3rd Asia Future Conference(公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会、北九州、2016年10月1日)の発表から取材した。お招き戴いた渥美財団、大津留香織先生、竹川大介先生ほかの皆様に謝意を表す。文責は稲賀に帰する。







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