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評者◆秋竜山
名画の巨匠は名言の巨匠である、の巻
No.3287 ・ 2017年01月21日
■名画の巨匠は名言の巨匠である。どちらが欠けても巨匠にはなれないだろう。「アア、私は名画を描き上げた。しかし名言を吐けない」では、巨匠とはいえないだろう。その逆の「アア、私は名言を吐けた。しかし名画を描けていない」も同じだ。こだわり知識愛好会『名言で楽しむ「世界の名画」――画家の発想を知れば、展覧会が10倍楽しい』(PHP文庫、本体七四〇円)では、 〈世界の名画を、彼らの語った言葉に耳を傾けつつ眺めてみると、作品に描かれた筆あとや人物像がいままで感じていたものとは異なって見えるようになるから不思議だ。巨匠たちが遺した言葉を手掛かりとして、名画をもう一度見直してみてはいかがだろうか。〉(はじめに)
そーいえば、こんなことを思い出した。昔のことだ。私はかなりお喋りだったんだろう。聞いていた画商のような人が私にむかって言った。「秋さんは喋り過ぎです。これから画家をめざそうとするなら、あまり喋ってはいけません。有名な画家をみてみると、皆さん口をへの字に曲げて、秋さんのようにニコニコしてないで、不きげんな表情をさせて無言にしていなければいけませんよ」。つまり、私のようにペラペラ喋ることによって、画の値段がガクガクと下がってしまうというのである。だから有名画家はいつも無言であるというのである。無言であればあるほど画の値段がグングンと上がるというのだ。そーいうものかと思った。しかし私は画家を志しているわけではなく漫画家であるから、漫画家は喋りたければ好きなだけ喋ればいいのである。と、私は思った。そんなことを思い出しながら、世界の名画には名言がつきものであると思った。本書では、その名言を紹介している。 フィンセント・ファン・ゴッホ「わたしは自分の命を作品に捧げ、そのあまりわたしの理性は半ば崩壊した」 ピエール=オーギュスト・ルノワール「世の中にはもう不愉快なものが溢れているではないか。わざわざ芸術のなかに不愉快なものを描く必要もなかろう」 パブロ・ピカソ「わたしは捜さない。見つけるのだ」 巨匠となれば、何をいっても名言となってしまうだろう。何を描いても名画となってしまうだろう。で、なければ巨匠にはなれない。たとえば、ある巨匠が「わたしは馬鹿な画家である」と、いったとする。これはすぐさま名言となるだろう。そして描かれた画も「わたしは馬鹿な画家である」という題名で名画となってしまうのだ。 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「人間は醜い。されど人生は美しい」 ポール・ゴーギャン「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」 ゴーギャンがいうから名言になるのであり、名画を遺している。この言葉を凡人がいったとしたらどーなるのか。考えただけでゾッとする。「お父ちゃん、何をいってんのよ。お父ちゃん、しっかりして」と、女房はあわてふためくだろう。もし彼が画家であったとしても、凡人の画家であったら名言にも名画にもならないということである。 |
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