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評者◆稲賀繁美
「世界東京化計画」Tokyonizationの教訓――台北の国際デザイン史研究学会から(2)
No.3286 ・ 2017年01月14日




■石井大五がヴェネチア・ビエンナーレに映像出展した作品が、話題を呼んでいる。題して「世界東京化計画」。世界の6都市の風景に、東京らしい看板を据えると、いとも簡単に東京と見まがう街並みができあがる。「似たようにみせる」錯術の妙技からは、逆にそもそも我々が日常たやすく信じ込まされている「本物らしさ」「真正さ」authenticityといった常識が、いかに頼りなく、薄っぺらな根拠のうえに揺蕩っているかも見えてくる。
 東京は銀座あたりの都心の風景。目にした瞬間にはそんな既視感を与える街路の光景だが、大小さまざまな広告を取り去ってみると、ニューヨークはマンハッタンの実景だったことが判明する。表層の広告群を入れ替えるだけで、摩天楼はその見かけの自己同一性を容易に喪失し、別の極東の都会へとカモフラージュを遂げる。北欧はコペンハーゲンの旧市街の落ちついた夕暮れの街並みも、ビルごとに原色のネオンや電飾の施された広告塔が装備されると、あたかも赤坂見附の歓楽街か、京都の祇園の飲み屋街かという装いを瞬時に纏い、変貌する。
 台湾の国際デザイン史学会でちょっと紹介してみると、これは見事に、観衆の大笑いを取ることができた。ネオンサインのすげ替えは、それぞれの文化圏の自己証明、アイデンティティーの源とも見做された風物が、実際には既存の思い込みに支配された固定観念、刻印されたものの見方mindsetに過ぎなかったことを、見事に露わにする。
 ヴェネチアのサン・マルコ広場の変装作業も傑作だった。白亜のサン・マルコ寺院の前に松の木を移植し、旗竿に日本の寺社の祭礼の幟を立て、寺院の入り口に朱・黄・紫・白の四色の横断幕を掲げるとどうだろう。あたりはもはやヴェネチアとは見えず、築地本願寺の夏祭りか、奈良東大寺の山陵祭さながらの雑踏に変貌する。もっとも目につきやすい表面的な記号を別の場所に移植する。この簡単な操作だけで、独創性とか自己同一性と信じ込まされていた「本質」が、実際には頼りない錯覚に過ぎなかったことも暴露される。
 石井大五が実験してみせてくれた「世界東京化計画」は、オリジナルとその複製といった二分法の思考が、いかにまやかしの差異化に依存していたかも明るみに出す。エッフェル塔の聳えるシャン・ド・マルスは、都市計画によって幾何学的に整地されており、日本の都市公園とはずいぶんと雰囲気を異にする。だがエッフェル塔を東京タワーのように赤と白のツートンカラーに塗り替え、あたりの広場一面に染井吉野を植え込み、そこに青のビニールシート持参の花見客を配して「花見の宴」を挙行させるとどうだろう。公園での飲食や宴会はかの地の公共空間ではご法度だろうが、ドレス・コードと屋外での公衆道徳の条例さえ改変してしまえば、フランスの首都も簡単に「東京化」され、上野公園の満開の花見の雑踏へと、見事に意匠替えを果たすことになる。「翻訳による喪失」である。
 東京で自己喪失する外国人たちの生態を描いたLost in Translationというソフィア・コッポラの映画があった(2003年)。日本ではいざ知らず、諸外国ではずいぶん流行った作品である。その顰に倣うなら、花の都パリは、東京のお花見に「翻訳」されれば、その文化的同一性をたちどころに蒸散させ、日本語訳のなかに「失われる」結果ともなる。
 文化的なアイコンやエンブレムは、複製法次第で「文化翻訳」の魔術、変身の妙を発揮する。







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