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評者◆秋竜山
吾輩は人間である。名前はまだない、の巻
No.3284 ・ 2016年12月24日




■伊藤氏貴『漱石と猫の気ままな幸福論』(PHP文庫、本体五八〇円)の〈猫になりたかった漱石――まえがきに代えて〉が面白かった。もし、何百年後に文学というものが残ったとしたら、そして、作家と作品が残ったとしたら、それは「漱石」という名前と「吾輩は猫である」の一行だろう。
 〈もちろん、小説家になることで誰もが後世に名を残せたわけではありません。当時漱石と人気を分かっていた作家は他にもたくさんいますが、そのうち残っているのはどれくらいいるでしょうか。尾崎紅葉や山田美妙はまだ名前くらいは知られているかもしれません。では半井桃水、小杉天外、小栗風葉などはどうでしょう。作品が今読まれることどころか、名前すらほぼ忘れられてしまったのではないでしょうか。しかし彼らも漱石と相前後して新聞小説の連載を持っていた人気の職業作家でした。小杉天外など、連載小説の人気の高さのために新聞が再版されたほどでした。しかし彼らは残らず、漱石は残った(略)〉(あとがき―本書より)
 当時、漱石だけが残るだろう、なんて、誰が思っただろうか。まさに神のみぞ知る!! で、あった先のことは神しかわからないのである。来年のことをいうと鬼が笑うという。もしかすると、神ですらわからないのかもしれない。「吾輩は猫である。名前はまだない」という小説の冒頭の部分だけが残る。それから先の小説の内容など、残らないだろう。小説そのものは、どーでもよいことであって、「吾輩は猫である。名前はまだない」だけで充分である。この一行が作品のすべてを物語っている。その証拠に、この小説の冒頭のこの部分は誰でも知っている。しかし、どのような中身であるか、まるっきりわからないだろう。読んでないからである。読んでなくても、中身がわかった(ようにしてしまう)ように思えてくるというのは、なんとも不思議である。もし、漱石がコピーライターであって、小説など書かず、この冒頭だけを書いたとしても、歴史から消えることはないだろう。
 〈「吾輩は猫である。名前はまだない」というあの冒頭の有名な部分が、もし「名前はタマである」となっていたらどうでしょうか。インパクトが薄れるというばかりでなく、物語の構造が変わってきてしまうのではないでしょうか。あの作品は猫という、つかず離れずの立場から人間の様子を覗き見るところにこそおもしろみがあります。〉(本書より)
 人間の世界、飼い主の生活であったからおもしろかったのであって、もし猫の世界、まわりの動物たちの生活であったら、ちっともおもしろくなかっただろう。パロディの王様であると思える。「吾輩は人間である。名前はまだない」なんて、やってみたらどうだろうか。人間に名前がないなどとは考えられないことである。その内に名前をつけてもらえるだろうと思っていたら、結局は名前無しで一生を終えてしまった。人間にいくら立派な名前があったとしても、千年万年後(それまでいかなくても)には忘れさられ、名前など無かったことになってしまう。いっそのこと、「タマ」でもいいから名前をほしかった。それが人間というものか。







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