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評者◆杉本真維子
石を投げて呼ばない
No.3279 ・ 2016年11月19日




■夏のおわりに、厚みのある白い封書が届いた。故郷の長野の友人が、世田谷区のキッド・アイラック・アートホールでの朗読劇に出演するという。扱う作品は、井上ひさし「父と暮らせば」。東京の公演に出るのは人生で最初で最後だと思います、ときれいな字で書かれていた。
 「父と暮らせば」の「せば」という音を心でなぞる。この素朴なタイトルには、父と暮らせなかった者だけに瞬時に伝達される「内容」がある。作品を、読んでいなくても、観ていなくても、伝わる。その飛躍のようなものに魅了され、結局原作を読まずに、公演をみた。
 主人公の美津江が対話している父は、この世に肉体をもった父とはちがうものだ。そのことを私は、自分の体験のほうから知った。思い出すことで父と会っている美津江を見て、自分と同じことをしている人がいる、という共感の仕方をした。「とうさん、今日もいるの?」と部屋を見渡すところ。いる、いない、を感じとる、殺気だった気配のようなもの。美津江は、たしかに私でもあった。
 そうだったのか、みんなこんなふうにして死んだひとと会っているのか――。もう一滴も涙は出ない、というほど、心が剥けたような、ひりひりとした感激であった。
 そのことを帰りがけに知人に話すと、目をまるくされた。どうやら、「みんな」ではないらしい。どういうことなのか。でも、こういう話題は、よほど慎重に話さないと、個人的なオカルト体験のような色を帯びかねないのでやめた。井上ひさしだって、日常の言葉で語れるくらいなら、わざわざ戯曲などにしていないだろう。
 かつて、肉親の死とはどういうものだろうと、想像することのおそろしさに負けていたころ、私の父は、こういうものだ、と教えるようにとつぜん死んだ。死によって私は生まれた、と思うほど、世界は一変し、経験はゼロにもどった。自分はまだ何も知らなかった、という言葉が何度も口からこぼれた。
 「父さん、いるの?」という美津江のような声は、たぶん、からだのなかの深い池から発せられている。私はそこへ怒りに焼けた石を投げ入れ、何度も投げ入れ、ぽしゃりと打ちあがった水が、よわい声になって父を呼んでいた。いま、石を投げないのは、単に腕が疲れただけかもしれない。池の水面はじっと静寂にたえ、またいつ石を投げるか、波をたてるか、わからない。
 美津江と父は、実際に一緒に暮らしている父と娘なら、まずこういう話題はしない、と思うことまでよく話す。気になっている男性の話題など、かなり踏み込んだ対話が成立しているところに、この物語の優しさがある。たぶん「娘」の多くは、違和感をおぼえ、心の対話だ、とすぐに勘づく。裏を返せば、父と娘は、生きているうちは、こんなに話をしないものだ、というメッセージでもある。
 もっと話しておけばよかったな、という後悔がなぐさめられていく。たしかに、死をきっかけに始まる対話は、生きていたころとは比べものにならないほど長く豊かなものなのだ。近頃は、いま話せばいいや、と本気で思うことがある。石を投げて呼ばないに、石が自分の心の内壁にぶつかって、跳ね返ってくるような近さに、対話の片方がある。
 とつぜん、自分の死を、さびしい、と感じた。自分が思い出せるうちは、死んでいないのだ。







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