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評者◆前田和男
元陸自レンジャーの社会 活動家・井筒高雄の巻24
No.3277 ・ 2016年11月05日




■加古川市議初当選の勝因と課題

 ドラマにあふれすぎた混乱と混沌の選挙戦であったが、妻の陽子の「夫をお願いします」の絶叫で盛り上がったフィナーレで、夫で候補者の井筒高雄も選対も、当選を確信した。しかし、明けた2002年7月1日、夜8時に投票が締め切られて開票がはじまったが、続々と当選者が決まるなか、なかなか朗報が届かない。
 11時を回った頃、参謀の井奥雅樹から「11時59分までに当選が決まらなかったら、落選のコメントも考えるように」と言われた。井筒は当選を確信していたのでその気にはなれず、午前1時30分過ぎに渋々、当選と落選の二つのコメントを準備した。それから待つことさらに1時間、ようやく当選が決まったのは午前2時半過ぎ。2599.444票(「たかお」がダブる田中たかお氏との按分のため)、定数36のうち28位でなんとか滑り込むことができた。
 井奥が当落二種類のコメントを求めたのには、意図があった。負ける選挙では当然だが、勝つ選挙でも「負けた場合」を考えることで、その後の政治活動に謙虚に取り組めると考えるからだ。この時もふくめて、井奥は参謀をつとめた選挙ではいつも候補者にはそれを求めている。
 それにしても、井奥にとっては、昵懇にしていた新聞記者から「出口調査でいい数字がでていた」「上位当選かもしれない」との情報が入り、井筒にも安心させようとそれを伝えてあったので、開票状況は意外だった。
 事前の読みでは、当選は当たり前、当初はできれば複数の候補を立てたいと狙っていたくらいだから、井筒一人なら上位当選も夢ではないと大いに期待をかけていた。最低でも3500票くらいは欲しかった。それは、半年後に控えている県議選に、補選で当選した井上英之の出馬を予定しており(ある意味では、井筒の市議選出馬はその前哨戦という位置づけでもあった)、県議選では1万票は必要なので、市議の3倍が県議の当選ラインと考えてはじきだされた数字だった。
 いっぽうで、前述したような“すったもんだ”の連続だった選挙戦を考えると、なんとか当選しただけで「よし」としようというのも、井奥の偽らざる気持ちであった。
 そうした複雑な事情と経緯をふまえた上で、参謀としての「総括」は次のようなものだった。
 なんといっても、8期32年間市議をつづけコンスタントに2500票を得票してきた打田末次から「後継指名」を受けたことが大きかった。打田の地盤は、旧社会党系の伝統的な革新票に、町内会長という地元の個人票も加わって強固だった。しかし、それを引き継いで固め切れたのは、傍で見ているとはらはらさせられるが実は“ケンカをするほどに仲がよくなる”井筒と打田の「青と老」の相性のよさだった。「自分の票の2割減くらい」が打田自身の読みだったが、おそらく井筒以外を後継にしていたら、うまくバトンタッチできずに2000票ぐらいで落選していたのではないか。また、後継が見つからずに打田自身が引き続き出馬していたら、「高齢多選批判」で井筒がとった票より下回ったのではないかと思われる。
 したがって、井奥のみるところ、500票ぐらいは、たった4か月の選挙戦で、井筒自身が若さとひたむきさで、広い加古川市内一円から獲得した「独自開拓票」であり、ここに2期目の選挙で3300票と800票も積み増して第6位で再選を果たせた大躍進の萌芽があった。
 すなわち、井筒高雄には政治家としての「伸びしろ」があることを示したのが、この初陣選挙であったといえるかもしれない。
 それは、この選挙で井筒が確立したと思われる演説スタイルにあらわれていると井奥はみる。加古川市議選での井筒の演説の最後は、「週に数日は私の家事当番です。手作り餃子を作ったりします」とマイストーリーを語ってから、こんな調子で締めくくられた。
 「子育てを妻と協力しながらやっている。そんな若い人がもっともっと政治に参加すれば政治はきっと変わるはずです」
 これは参謀の井奥や大先輩の打田の「教育的指導」によるものではない、井筒自身が政治の素人なりに選挙活動をするなかから編み出したもので、現在の井筒の演説や講演の原点になっていると井奥は評価する。
 その上で、票が伸びなかった「敗因」はなんだったのか? 参謀の井奥はこう分析する。
 それは井筒高雄という「キャラの打ち出し方の難しさ」にあった。
 自衛隊のレンジャー出身でPKO法案がきっかけで退職したという「プロフィール」については、選挙のビラや広報に記しはしたが、強調まではしなかった。応援弁士の中には、「自衛隊といってもレンジャーです。災害とかで救助する人ですよ」と何重にも勘違いした人もいて、選対としては苦笑を禁じ得ないこともあった。
 後援会長の打田も社会党系ということもあって最初は自衛隊出身と聞いて井筒に距離感をもったが、PKOに反対して退職した経緯や土井たか子とつながっていると知って、逆に親近感を覚えたらしい。このように革新系の人たちには自衛隊への拒否感が根強かった。一方、保守系には、井筒を社会運動へ導いた「ピースボート」を嫌う人たちもいた。
 安保法案以降の今でこそ、「PKO法で辞めた元自衛隊のレンジャー」と「ピースボートの阪神・淡路大震災ボランティア支援に参加」がセットで「売り」になっている井筒だが、当時はそれを有権者にアピールするのは難しかった。
 それをいっそう難しくしたのは、ちょうど井筒が加古川へ単身乗り込んで、市議選に名乗りを上げた直後の3月20日に発売された「週刊新潮」にスッパ抜かれた「辻元清美の秘書給与流用疑惑」であった(なお、これは勤務実態のない政策秘書を雇ったことにして、国から支給される給与を事務所費用に流用したもので、2004年に辻元らの有罪判決が確定する)。井筒が辻元清美と近いということを“空中戦”の売りにして、短期決戦を勝ち抜く武器にしようとしていただけに、選対にとっても井筒にとっても想定外の「凶報」であった。
(文中敬称略)
(つづく)







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