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評者◆前田和男
元陸自レンジャーの社会 活動家・井筒高雄の巻22
No.3275 ・ 2016年10月22日




■市議選のために妻の姓に改姓
 高砂市議の井奥雅樹から「水を売るよりも世の中を変えないか」との殺し文句を投げられ、「よし、やってやろう」と一転、加古川市議選への挑戦を決意した井筒高雄だったが、よくよく考えると、その先に高いハードルが待ち構えていることに気づき、井奥と同席していた県議の井上英之に、こうもらした。
 「でも、やっぱり妻が納得しないだろうな」
 すると、井上が「だったらこれから東京へ行って、3人で説得しよう」と提案、これに井筒も大いに力を得て、そのまま井上の車で、阪神・名神・東名を飛ばして東京へと向かった。
 高田馬場の井筒宅についたのは夜の9時をまわっていた。
 「やっぱり出馬したいから、認めてくれ」という夫に陽子は呆れて物もいえなかった。電話では礼を失するから直接会って断わるといっていたのが、逆に翻意させられ、ミイラ取りがミイラになって帰ってきたのである。
 大の男3人がガン首をならべて、土下座をせんばかりに懇請しても、陽子は即座には受け入れなかった。
 井奥たちはこのまま粘って「黒白」をつけたかったが、翌日は成人式で、それぞれセレモニーの重要な来賓として列席することになっていた。ぎりぎりまで説得をつづけたが、結論がでないまま時間切れとなり、井筒宅を暇乞いして東名・名神・阪神高速をとって返した。
 車中で、井奥は井上と感触をこう語りあった。「感激屋の井筒は情熱には情熱で応えるタイプだから、東京へ同道した井奥と井上に共感し、きっと妻が反対しても、二人の熱意に応えて挑戦してくれるだろう」。
 途中、京都南インター付近で車がオーバーヒート。パーキングエリアで車を放棄すると電車に乗り換えて、二人ともなんとか成人式には出席できた。井奥は、感激屋の井筒がいっそう決意を固めてくれるだろうとの強い期待をこめながら、このアクシデントを当人に伝えるのを忘れなかった。
 さて、残された当の井筒はどうだったか。
 妻の陽子と話しあったが、反対の意思は固かった。しかし、陽子の内心では、「水を売る仕事」で蕁麻疹ができている夫のことを考えると、組織にしばられるよりは、議員のような自分の裁量でやれる仕事が向いているかもしれない、という気持ちが強くなってきた。
 継続審議を重ねるうちに、やがて陽子も折れて、「私も子どもも行かない」「選挙の手伝いもしない」ことを条件に承認。はからずも、井奥が前年、陽子を説得に来た時、ピースボートの“隊長”こと本山誠からの、「嫁の陽子はだめだが、高雄を単身赴任させたらいいじゃないか」とのアドバイスが的中することになった。
 こうして井筒高雄は、「水を売る仕事」に見切りをつけると、2002年2月3日の夜に親子で節分を楽しんでから、翌朝、「仲間とともに社会を変えよう」との思いを実現するべく、単身加古川へと乗り込んだ。選挙の投開票までわずか4か月。果たして間に合うのか。当時の加古川市議会の定数は36、当選ラインは2000票。それをめざして、すでに多くの予定候補が1年前から活動を先行させていたが、「参謀」の井奥には上位当選も夢ではないとの読みがあった。
 一つは、1年前の県議補選で井上が4万票を獲得、その大半は市議候補たちの票だったが、それに加えて「若さ」を前面に打ち出して市の全域から上積みした「市民派浮動票」が、井上が井筒の支援にまわることで期待できた。
 もう一つは、8期32年間市議をつづけ、この期で引退する社民党系のベテラン打田末次が、井上に続いて井筒の後援会長を引き受けてくれたことだ。打田は町内会長でもあり、つねに2500票を獲得していたが、その打田の固い票の少なくとも半分は井筒にまわると期待できた。
 いっぽう、気がかりな点がないわけではなかった。井筒が“突然の落下傘候補”で、地元色が圧倒的に薄いことだった。地元出身の妻がさっぱり顔をみせないだけではない。当の井筒の風体が地元の人からは、「ファッションも東京風。スマートでカッコイイけれどちょっと近寄りがたい」と受け止められていた。都会の自治体選挙と違って(いや東京でも下町では)、そうした評価は選挙にとって大いなるマイナスである。
 それを危惧して、井上から井奥に「奇策」が提案された。高雄を妻の姓へ改姓――平たく言えば陽子の実家の井筒家の「婿養子」にしたらどうかというものだ。本連載「井筒高雄の巻」の第2回で詳しい経緯は後述すると記したが、ようやくその機会が訪れた。もともと「井筒高雄」は「宮寺高雄」といい、このときまでは一貫して宮寺高雄であった。
 井上の「奇策」の根拠は、「『宮寺』という名前は関西では“なんやそれ”だが、『井筒』ならば“よう聞く名前や”」。
 井上は後に自民党に鞍替えするが、そんな男独特のべたな保守感覚によるものだった。
 井奥は「まさかそれはないだろう」と思ったものの“だめもと”で井筒におそるおそる打診すると、井筒の反応は「検討してもいいよ」で吃驚させられた。
 井筒が前向きに答えたのは、次のような考えからだった。
 まずは、井上が根拠とする「当選の確率が高くなる」の是非である。人口27万人の加古川市の電話帳に当たったところ、宮寺姓ゼロ、いっぽうの井筒姓は7件。家族も入れれば20票にはなる。市議選は1票で当落が左右されると聞かされて、だったら「改姓に乗るしかない」と判断したのだった。
 ついで、妻の陽子の了解だが、これは問題がなかった。そもそも結婚時には陽子は旧姓の井筒から宮寺姓に入り、仕事は旧姓で対応していたが、IDカードやパスポートが宮寺姓だとピースボートのクルーズ関連業務に支障があることから、その後形式的に協議離婚をし「夫婦別姓」を選択していた。したがって、高雄が井筒姓になれば、陽子にとっては戸籍上も「夫婦一致」となり、子どものためにもなると思われたからである。
 また、高雄の実家の宮寺の両親に相談したところ、父も母も、三男だし当選確率が上がるならばと「婿養子」をあっさり了解。片や陽子の実家はというと、義父は「牛乳瓶のラベルを貼りかえるようなことをしてなんの意味があるのか」と批判的だったが、「選挙のためというなら勝手にしていいが、ただし協力はしない」と消極的ながら了承してくれた。
 この「改姓作戦」について、参謀の井奥にいわせると、集票効果でいえば「宮寺」のままでもよかったが、一つは提案が採用されたことで井上をやる気にさせたことと、もう一つは候補者の井筒にとって「別人」として新天地で活動する「儀式」となった意味が大きかったのではないかという。
 こうして宮寺高雄改め井筒高雄の4か月にわたる選挙戦がはじまった。
(本文敬称略)
(つづく)







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